2月25日水曜日。晴れ後曇り。
と言っても、救急車に乗せられたのは夫だった。
わたしは付き添いで一緒に乗り込んだのだ。
人はいつどうなるかわからない、などと常々考えていたことが現実になりかかった。
2/22の未明。お酒を飲んだ夫が帰る途中で転倒した。
夫によれば家まであと15分くらいのところで転けたという。
そんなことを知る由もなくわたしは朝目覚める。
そして夫を起こしに行ってびっくり仰天。
顔の右半分が腫れ上がった夫がそこにいたのだから......
よく見ると額や頬ににも傷があり出血した跡もあった。
しかも腕と手が痛くなってきたと言い、慌てて救急外来へと向かった。
そこで診察中に血圧が急に下がり一時的に意識が朦朧に。
それから救急車で急いで別の病院へと行くことになったのだった。
(これがわたしの人生で2度目の救急車)
病院の待合室でどれくらい待っただろう.....その間色んなことを考えていた。
夫が死んだらどうするか。死ななくても仕事ができなくなり、この先ずっと介護が必要になったら。
お金はどうするか。この田舎でわたしが稼げる仕事などあるだろうか.....都会へ出稼ぎに行かなければいけない。
そんなことできるのか。もういっそ首を括ろうか......絶望しかない人生が待っているのだから......
ようやく面会が出来て夫のところへ行く。
良かった生きていた。顔をは痛々しいが体も動くし話もできる。
そして帰ってもいいと言われる。(てっきり入院かと思っていた)
そこへ母が叔母と叔父と一緒にやって来た(一応連絡をしておいたのだ)。
連絡を入れた時、たまたま叔母たちが家に来ていたのだいう。
これも良いタイミングだった。
叔母たちもいつもは軽自動車のところを、その日はたまたま大きな車に乗って来たと言うではないか。
そのおかげで夫とわたしも車で一緒に帰ることが出来た。
薬が効いたこともあり夫の手の痺れと痛みは少しづつだが回復している。
今日改めて専門の医者の診察を受け、靭帯骨化症という病名を告げられる。(脊柱管が狭いということらしい)
ただ今のところ手術は必要ないということだった。
今後はとにかく転倒に(重いものを持つとか)気をつけて症状を進行させないように気をつけねばならない。
痛み止め等の処方箋をもらい2週間後に再診となった。
2週間静養した方がいいと言われたが、今はちょうど繁忙期なのでまず1週間の静養で様子を見ることに。
酒飲んで真夜中に転んだのだから全くの自業自得。
運良くこれくらいで済んだが、何かの犯罪にでも巻き込まれていたらどうなっていたことか。
物騒な今の世の中を考えれば全く非常識だし、自己管理と危機管理が欠如していると言われても仕方ない。
ストレスからお酒に逃げても何の解決にもならないのだ。
夫がこれほど無責任な男だとは思わなかったし、正直がっかりした。
わたしと違って学もあり、周りのことも考えられる責任感の強いひとだったはず......
氷河期の団塊ジュニア。若い頃から良いことなどほとんどなかった。
給料だってそれほど上がらない。ずっとそうだ。
でももうちょっと踏ん張ろうよ.......そして逃げる時が来たら堂々と逃げよう(意味不明だが)。
.......などと色んなことを考えてしまう。
どうして後悔と虚しさから逃れられないのだろうか。(これもまた自業自得なのか)
少しでも人生を前に動かしたいと望みながら......これからも一進一退は続きそうなのだった。
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2/22は猫の日だった。
夫が転倒して最悪の状態にならなかったのは、もしかしたらミミのおかげかもしれない。
ミミが守ってくれたのだと思えて仕方ない。
(最悪半身不随になったかもしれないのだ......)
眼鏡も壊れ、年末に買ったばかりのジャケットも血まみれでコミ箱行き。
仕事も休み職場のひとたちにも迷惑をかけることになってしまった。
(酒飲んでのこれだからかっこつかんなあ....)
ケチらずにタクシーに乗っていればよかったのだ。
(何のためにわたしが車を手放したのか)
疲れているから行くなと言ったし、早めに帰れとLINEでも忠告したのに......
今回ばかりは夫も猛省。
これに懲りてお酒は当分飲まないと誓った。(完全に辞めるんじゃないのかよ....)
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