AKBってまだこんなに話題になるんだーという程度の関心しかないのですが、女の子を格付けするという行為について考察。
時々、ミスコンにかみつく愚かな蛙もおりますが、格付けって社会に出れば当たり前。
お父さんの会社、官庁での肩書きも格付けの一種。肩書きとは無縁の芸術家だって市場評価で値段が変わります。
刑務所の囚人にも、学校にだって、ほんとに恐ろしいママカーストがある。
格付けがない世界に行きたいものですが、人間の他者からの承認欲求、所属の欲求という本能に根ざしているがゆえに「ない世界」はない。
大切なのは、あるのが当たり前という中でどう評価と付き合うか。その方法論を深めることではないかと。評価は絶対的なもの、相対的なものいろいろです。歴史、時の権力、思想によっても覆る。人から認められれば嬉しいし、そうでなければへこむ。人間当たり前です。
一方で評価軸、つまりものさしがいくつもあることを認めあうことも重要です。
むかしからステレオタイプ的に言われてきた「よい学校、よい大学、よい会社」、はたまたこれも崩れてきたというのもステレオタイプ。
日本は明治以来の人事選抜の根幹が、在野から賢者を求めて競争させ、地位につけて権限と報酬を紐付、保証するというもの。
この既得権益はとてつもなく大きい。だから地位、権限、報酬がいまだに評価軸でもっとも強いのですが…。
AKBのトップも、投票権付きCD販売というかつての優れたビジネスモデルにいまだに頼っています。そろそろ企画力、スポンサー獲得力、冠番組獲得力、ファンロイヤルティ拡散力、世代別支持率、スタッフ支持率などなど多面的な評価を導入したら面白そうです。
ファン投票(ファンサービス力)と広告代理店主催の視聴率や世間のイメージ調査だけではいまどき物足りないですね。
AKBはグループではなくチームだそうです。グループは和の世界、チームは乗の世界。チームリーダーは個々のパーソナル能力を高めることでチーム力が桁違いに強くなっていく。
リーダーが10でも残り9人が1しか力を持っていないのならチーム力は10のまま。ひとり0ならゼロです。グループは19ですからまったく劣ります。だからチームリーダーは1の子を2、3に引き上げていく力が問われます。
まったくの推測ですが、今回トップをとった方はやはりそういう能力にも長けていたのではないかと思います。
そういうショーがあったら世のお父さんたちはかなり違った見方をしてくるでしょうね。