最近またブームらしい。私はブームに関係なくいわゆる角栄本なら40~50冊くらいは読んでいるだろう。読んで好きな人には申し訳ないが、最近元都知事とやらが書いた本もぱらぱら読んだが、びっくりするほど浅かった。すみません上から目線で(笑)。
さて、私は新潟にも角栄本人にもまったく縁はないが、前々職時代、短い期間だったけれど角栄にとても近かった人の知遇を得たことがある。
私の前々職場は虎ノ門にあった小さな工学系の出版社で、その老人は出版社社長と一高寮で同室との縁で監査役を務められていた。時折、社長と仕事というより昔話をするために会社にやってきては談笑して1ー2時間もすれば帰っていかれた。私のようなペーペーの若僧にも気さくに声をかけていただき、折しも住専問題で無数の街宣車が大蔵省を取り囲み窓外が騒然としていた時期「君はどう思うか」と問われ、偉そうに聞きかじり読みかじりの知識をつぎはぎして答えた記憶がある。今からすればほんとうに恥ずかしい限りだが。
老人の名は麓邦明。共同通信社時代角栄に三顧の礼をもって迎えられた第一秘書である。
官僚、大学、銀行、商社などの調査部から高校教諭まで優秀な若手を集めて「都市政策大綱」をまとめ角栄の政策ビジョンを作成。これがもとになってかの有名な「日本列島改造論」が生まれた。表の立役者は下河辺氏だがブレーンを発掘し、体系的にまとめあげたのは麓氏である。
お会いしたのは数えるほどだったけれどいくつかエピソードも聞くことができた。角栄は新興国への外遊の折には、必ずキーマンを調べ上げ、レセプションで会うなり、その国の経済センサスと必要な事業の選別、支援方法、かかる予算と納期のおよその案を数字で諳んじ示した。通常実務レベルは官僚の役割だが、角栄はレセプションという印象の強い場で、もっとも先方がほしい情報を真っ先に与えたのである。キーマンはその数字の正確さに驚き、感服したという。
麓氏と私がいた出版社の社長の共通の口癖があった「エリート官僚と軍人が優秀という奴がいるが、ほんとに優秀だったら戦争に負けるわけがない」。一高出身らしい不遜な言い方だけど、麓氏が政策立案に際し、前例にとらわれず様々なジャンルの若手を抜擢したのは、既存のエスタブリッシュメントに対する反骨心の表れだったのだろう。
麓氏は私のちょうど転職前後に亡くなられた。私が角栄本を読み漁るようになったのはそれからである。角栄本を読む度に麓邦明の名前を探すようになった。そして読むにつれ田中角栄その人に大いに惹かれるのである。
一瞬の邂逅ではあったけれど、思い返すと私は大きな影響を受けている。業種も業態も異なる場所にいる優れた実務家、理論家をどう探すか、どう関係をつくるか。どうコラボさせるか。この発想は流通雑誌編集稼業でも大いに役立っており、いまなお私の根幹である。