住友財閥二代目総理事伊庭貞剛の名前は、前職時代「後継」をテーマにしたときに出合った。
近江の出身。司法官から叔父の広瀬宰平(初代総理事)に請われ住友の支配人に。在任中は、別子銅山の煙害問題や従業員の待遇改善に取組み、住友銀行などを創設。「住友中興の祖」と称される。
しかし最大の貢献は、組織にとって老害となりつつあった自身の恩人でもある初代総理事の首に鈴をつけ、カリスマ以降の経営のかじ取りを「合議制」に移行したことにある。
そして伊庭は自身が二代目総理事につくも、58歳で引退。
「少壮と老成」という名文を残した。
「事業の進歩発達にもっとも害するのは、青年の過失ではなく、老人の跋扈」であるという一文はあまりに有名。
ただ青年にも一言残している。
「経験に盲従してはならぬが、尊重もせねばならぬ。殊に気鋭に任せて成功を急いではならぬ。順序は踏まねばならない。頭ばかり先に出ようとすると足元が浮く。急ぐと無理が生じ、手ぬかりが頻発する。不平が起こり、人の悪口が横行する。悪口は手に向かって唾する様なもの。その禍はかならずわが身にかえってくる」
伊庭は漢籍に通じ、五代友厚らと欧米の経営論を学び、大阪市立大の前身を創設。
東西の知を融合し、事業をよく起こし、継続の礎を築き、人を残した。
ほんとうのカリスマとはこういう人のことをいうのだろう。