横浜国大の室井先生のブログはずっと愛読してきたが、ようやく一冊の本に。
文科官僚からすれば、ノーベル賞でもなんでも成果出さなきゃ金はつけないということだが、そもそも人文学の問いの立て方は、官僚につけられた権限はいかにして醸成されてきたのか、また人びとに認められてきたのか、それは今後も妥当か否か…とくる。その軌道の隔たりは水星と木星くらいあろう。ただ時間軸が異なる学問があるからこそ、たとえば予防地震学においても工学知や古文献知が交わり人びとの役に立つのだ。
私も「役に立たない人文学」の出身にして、近い将来私立文系ブンガクブというおそらく危惧されない絶滅品種の学び舎卒ということになるのだろう。だが不思議なことに社会に出ていろいろな経営者に会うと私がかじった領域はウケがよい。この場合のウケとは私のいでたちと専攻の持つ華やかな響きのギャップもあろうが…。
そういえば大学の恩師が附属高の校長に就任されたとき、進路指導で社会人が講演するキャリアセミナーがあり私を呼んでいただいた。「ブンガクブでも社会でそれなりに生きてるって伝わればいいのよー」と言われてズッコケたが、かえって楽しくお話させていただいた記憶がある。ちなみにそのセミナーでは弁護士から官僚、教授、経営者、技術者など素晴らしいキャリアの持ち主が喋ったそうだが、のちのアンケートで「あなたの話が一番面白かったってよ」とお褒めいただいた。えっへん。まっ、面白いと役立つは違うけどね(笑)。
ちなみにもう一冊の鷲田清一先生の「哲学の使い方」は名著中の名著。グローバルだのローカルだの二進法の世界の表層的な評価軸しか持たない愚者にならぬための処方箋だ。
阪大は医学、理系が看板だが、この鷲田先生が学長を長く務められ人文学の世界で若き俊英を育成してきたことを見ても、阪大の文学部は東大京大に匹敵あるいは凌駕しているだろう。残念ながら偏差値ではこの価値はわからない。