週末は、高校の剣道部OB会でした。50年以上続く先輩方の襷が、後輩の皆さんに伝わっていることを心から嬉しく思います。
写真はうちのOB会のトップクラス。4人で26段。眼福でした。私は相変わらずヘタレです(笑)。でも久々に七段の先生にかかれたの嬉しかったです。
さて、剣道といえば先に世界剣道がありました。世界各国から剣道愛好者が集まる大会。世界の剣道人口はどんどん増えているそうです。
剣道をオリンピック競技に。という声もあるようですが、私は剣道はいまのままでよいと思います。オリンピックの商業主義と剣道精神が合わないなんてごたくを述べるつもりはありません。
私の友人がドイツ人と結婚し、一緒に剣道をしています。日本の剣道精神を理解し尊重してくれています。
海外の剣士はほとんどが日本の剣道、武道の持つ精神性に対しつよい憧れを持ち、ある意味日本人以上に理解を深めています。
こういうと、浅い人は日本礼賛論に陥ります。
そうではない。世界から尊敬を集めているからこそ、謙虚にならねばならない。そして他国の文化をより尊重する器量を持たねばなりません。
ここを勘違いしている人がじつに多い。
剣の理とは、前田英樹先生によれば、「命そのもの」に関わります。
剣はたしかに命のやりとりに関わる武具として発達しましたが、古代は祭器です。剣の刃は稲穂を刈り取るもの、つまり生産を司る象徴であり実的な役割を持ちました。
剣とはすなわち生と死という普遍を橋渡しするものです。だから三種の神器のひとつでもあるのです。
だから剣は相手を活かすものであるという哲学を持ち込んだのは江戸将軍家剣術指南柳生家でした。前田先生は柳生の理法に古代から連綿と続く哲学が埋め込まれていることを看破されています。
剣道を愛する人たちは、このような古代から続く剣の哲学を理解、極めんとして稽古をしています。
そこには日本も世界もありません。ただひたすら真理に近づきたい、その思いが稽古へのおもいに駆りたてます。
その意味において、剣道はオリンピック憲章などいわゆる近代スポーツの目指すものとは異なります。
もちろんオリンピック憲章の理念は素晴らしい。いまの剣道界の大多数、いわゆるスポーツ剣道もそれぞれ意味があります。
ただそうではない価値観を大切にする。これが私の考える愛国心です。そしてそれは限りなく無私利他であり謙虚であることではないでしょうか。