時折古典を紐解きたくなる。諸子百家の中でもひときわ異彩を放つ「墨子」。
かつて松岡正剛は墨子十論のひとつ「非攻篇」をもって「専守防衛」たる自衛隊の根幹思想を論じたが、いまや風前の灯火。いくさを語るものは、本来深く強靭な思想を持たねばならないが、まあ、いまの政治屋にはかけらもない。
まあ、それは置いておく。
私はやはり「非攻篇」と双璧と云われる「兼愛篇」がよい。簡単にいえば「人をかきて(犠牲にして)自ら利す」精神と行為が社会大乱の根本要因であることを説く。これはビジネスも同じ。
古代中国にあってこのような博愛主義が存在していたことに驚く。
独自の武装学団を組織し、高い土木技術と武器開発力をもって専守防衛に徹する。守り切れないときには、墨家としての責任を全うするため自刎も辞さない苛烈さも持つ。
儒家以上の勢力を誇ったこの異形の集団はある日、忽然と姿を消す。これはいまだに謎につつまれている。
なぜ墨家は歴史から姿を消したのか。ここにこそ思想と実践にかかわる本質的な、深い闇が横たわっているような気がする。興趣は尽きない。