英語の「プリンシプル」の概念は日本語では適語がないそうです。


英語の「プリンシプル」とは、普遍の理念、決して変えてはならない原則、流儀、規律・・このように定義されています。


日本は、例外や都合がきわめて多い。


よくいえば臨機応変、悪くいえばご都合主義。


その代表ともいえる政治屋の「公約」はプリンシプルではありません。


選挙が終われば、ほぼ公約は破棄されます。


政治生命をかけた「公約」というのは日本には存在しません。


都合によって変わるのです。


揃って政治屋は言います。


「あのときはそうだったけども、状況が変わった」。


状況がかわっても変えないのが「プリンシプル」です。


日本も日本国憲法や皇室典範といった「プリンシプル」が存在しています。


ときの為政者の都合で変えることができない「原則」です。


変えるためには厳密な手続きを要します。


分子構造や対位法によって組み上げられた音楽、あるいは建築とおなじく、そこには「動かさざる約束」があります。


ところが、ついに日本国憲法もご都合で解釈変更ができるようにするそうです。


プリンシプルの「たが」が外れるとき、そこは亡国の入り口です。


どこまで日本の政治屋は愚かなんでしょう。


といいつつ、これがいまの日本の民度をよく表している鏡なのでしょう。