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ついに「いいとも」がフィナーレ。じつは最後のタモリさんの言葉は予想どおりでした。

お昼の日常風景化するほどの影響を力みなく淡々と続けてこられたのは、いろんな方のタモリ論がありますが、

わたしは赤塚不二夫さんの「これでいいのだ」イズムの極致がなせる業と考えています。

ともすれば気が狂いそうになるほどのルーチンワークを「芸化」できたのは、「これでいいのだ」の「で」の部分にだけちょっとした工夫、新しさをつけ加えてきたからではないでしょうか。

原研哉さんの言葉を借りれば、「これがいい」という主体的なセレクトは「俺はこれにこだわっている」というある種の主観の押し付けです。

その押し付けがときに普遍の境地までつながっている人もいますが、生々流転、諸行無常が人の世の常、たいていは「おれが…」にこだわると廃れていくものです。

タモリさんは「これがいい」ではなく「これでいい」の「で」のレベルを高め続けた不世出のエンターテイナーだと思います。





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