サムラゴーチ問題とチェーンストアのプライベートブランド(PB)がどうつながるか。面食らう方も多いだろう。

しかしながら、サムラゴーチ氏のいくつかの嘘と道義的責任をのぞけば、サムラゴーチ氏と新垣氏の関係は、単なるOEM発注者と受注者に過ぎず、その契約書がないために生じた問題とみることも可能だ。あくまで「も」である。

PBは基本的に、チェーンストアが製造責任も販売責任も負う。よって販売者はチェーンストア名しか書かない。なにか商品に不備があった場合の連絡先はこのチェーンストアになる。ある意味すべてのリスクを負うのだ。

音楽にたとえれば、作曲から演奏まで行い、コンサートの成否もすべて背負う。成功すればすべての賞賛を得る。

一方、製造者を併記するパターンもある。これは一般にはストアブランドと呼ばれる。だから商品に不備があった場合の連絡先は製造元が引き受ける。チェーンにとってはある意味、リスクを分散していると言えよう。

音楽でいえば、コンサートが成功しなければ、曲が悪かったという言い逃れもできる(もちろん現実は無理だが)。

どちらが、よい悪いではなく、ようはいくつかやり方があるということである。

今回の図式は、新垣氏は、OEM受注者として販売者がつくりあげたストーリーがあまりに実態とかけ離れていたための義憤だろうと言われている。

チェーンPBの理論からすれば、OEM発注してるのに、原料調達から加工まですべて自前でつくりあげてますと言っているのとおなじだ。この商品を生み出すまでにはこんな原料調達の苦労があった、でもこの苦労があったからこそ、こんなに美味しい商品ができたんだよ…というストーリーを、新垣氏は、「我慢ならない」としたわけである。

こういう状況が起こらないために、チェーンストアはOEM受注先と厳密な契約書をつくる。

たぶん音楽の世界にはそういう習慣がないのだろう。

いまさらだが、ストアブランドのように、サムラゴーチ氏の着想(仕様)をもとに新垣氏が製造者、サムラゴーチ氏が販売者と併記すればなんの問題も起こらなかったわけである。

ストアブランドなのに、プライベートブランドと言ってしまったから問題がある。

チェーンの世界ではお客さんはまだそこまで厳密な違いを認識していないが、万が一商品に不備があった場合、お客さんはどちらにまず怒鳴り込むだろうか?

チェーンストアがブランドをつくりあげていくためにはこういうことを常に念頭に置いて対応しなければならない。

しかし、この問題にはもう一つの教訓を含んでいる。

それは、そこかしこで言われていることだが、消費者は過剰なストーリーに弱いということである。

プライベートブランド、ストアブランド、ナショナルブランドも揃って「ストーリー」がある。

原料、製法にこだわりました…
皆さんの声を聞いてつくりました…
研究者の失敗から生まれました…(iPS細胞みたい)

こういうストーリーを重視して消費する人は、曲の完成度とは関係なく製造者が違っていたということで、もはや曲そのものを聴こうとしないだろう。

それでも我々はストーリーに惹かれる。サムラゴーチ問題はその浅はかさを浮き彫りにしてくれた。









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