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文◯の記事を読んで、ふと売場をみたときにありました。

偽装米問題は6~7年に大問題になりました。

構図は今回も一緒で、クズ米を混ぜないと中間流通の利益がでないからです。

低価格を実現することは、チェーンストアの役割ですが、自社努力によるものでない限り、このような問題は出てくるでしょう。

とくに生産加工が海外であれば、より検査体制にはコストをしっかりかけないと価格の前提にある安全安心を実現できません。

最大手のさらなる努力に期待したいものです。

しかし、文◯の部数稼ぎのあおりは酷いですね。

彼らは、正義の糾弾を装おっていますが、本質は部数稼ぎです。世間に常に標的をつくってあおる。影響力があるネームであればあるほどいい。ただしその選定は恣意的でありスタンスは正義は我にありです。

いまや私も大阪市長の橋下さんには期待していませんが、総選挙前の彼らのネガキャンは酷いものでした。

選挙のときもっとも得したのは彼らゴシップ雑誌でしょうね。

しまむらの不良品に、クレームをつけ、店員に土下座させた挙句、SNSに拡散した鬼女が逮捕されました。

本質はこれと同じですね。瑕疵をトリガーに標的を定め、キャンペーンを張る。執拗に責めた挙句、土下座をさせて溜飲を下げる。

もちろん、正義は我にあり。だって不良品を渡したのはそちらでしょうというスタンスです。

この鬼女とゴシップ雑誌の違いってなんでしょうか?個人とマスコミ組織という違い?だれがいつマスコミ組織に正義を付託したのか?

突き詰めて考えると、いろいろな問題が見えてきます。

フーコーは、

前提とは、権力の知性がつくりだす権力における最大の武器

といういい方をしています。

考えさせられることばです。



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