まもなく発売される月刊MD11月号では、夏に取材したダイソーの矢野社長のインタビューを掲載している。
いま、最終校正をしながら、矢野社長のインタビューを振り返っているが、
抽象的な言葉の中に、真実、本質というものがせまってくる。
「商人の謙虚さとは、生きるために必死になること」
これはイトーヨーカ堂創業者伊藤雅俊氏から感化されたことば。
小売業は文化ではない、必死に生きる、より良いものを追求してこそ、はじめて世の中に役立つものとなる。だから本気で怒るし、本気で優しくなれる。
より良いものを追求すればするほど、無駄がなくなり、洗練が際立つ。しかしその先には真っ正直がなければならない。
そのプロセスを20-30年継続してはじめて世の中に役立つ存在となれる。
それは表には出ない努力だ。矢野さんのことばを借りれば、「神様に好かれる」。
もうひとつ、
「小売業は常に警戒心を持たなければならない」
これも実に江戸時代の本商人のDNAを受け継ぐことば。
本商人は、ときの権力に身をゆだねる恐ろしさを知っている。
いきなり大名に貸し付けた債権が一夜でチャラになる。
もちろんその補てんなどは幕府(政府)から出るわけがない。
こうやって江戸期の商人たちは一夜にして無一文になった例が無数にある。
三井、鴻池といったのちの財閥につながる本商人たちは、権力におもねるこういった商売をかたく家訓として戒めた。
その本商人の知恵は、権力にとっては許しがたいもので、徳川吉宗の知恵袋と言われた荻生徂徠の門下にして政治経済学者の太宰春台などは、「商人はじつに狡猾にして・・」と蔑視の対象としている。
つまり時の権力からすれば、本商人の知恵は邪魔なのだ。
だから、権力の側にいる人たちは消費増税にしても、税抜表示は気に食わない。
本商人のDNAを継承する人々は税抜表示を支持する。
当然だろう、「税抜表示=自社の努力」、「税=お上への上納金」と考えるから、
税をしっかり明示することで、「政治家や役人よ、税を正しく使っているのか?」というプレッシャー(意思表示)になるのである。
裏返せば、鈍感な消費者に覚醒を求めるものである。本当に消費増税は必要なのか?その前にやることはないのかと。
消費者も「税抜表示は安いのに、税金足したらこんなに高くなるのだ」と痛感するだろう。
これは本商人が仕掛ける靴底の小石なのだ。消費者からすれば総額表示のほうがわかりやすいから、こちらに一本に絞ってくれという考えも多い。
こういう消費者は、サラリーマンの源泉徴収とおなじく、税金をとられることに痛みを感じさせない国家権力のある意味の「知」の罠に陥っているといえよう。
つまり自分で考えることを放棄しているのである。
慣らされることで思考停止に陥るのである。これが国家の知の罠である。シリアのように国家が国民に対し武威を発露するのはまさに権力だが、
知の権力は法律をはじめ、普段意識することはない。
思考停止に陥った消費者はどうなるか。
矢野さんのことばをかりれば、まったくの無警戒。
そのうち政府がなんとかしてくれるだろう、そのうち景気がよくなるだろう・・。
おそらく、他に自分を依存してしまう。
これは自立している本商人からすればとんでもなくリスクがある思考方法だ。
だから本商人である矢野さんは、常に警戒する。
自立した知性は一国の自立につながり、経世の才となると言ったのは、
福澤諭吉だ。明治政府に仕官せず、ときの権力を冷徹に観察していた彼もまた本商人のDNAを受け継いでいると言えまいか。
自立した本商人が自立した消費者を生む。逆もまた真なり。そして経済を盛り上げる。そう信じたい。