かつて野中郁次郎先生のインタビューにうかがったとき、


紹介された本が、斎藤孝先生の『「できる人」はどこがちがうのか』(ちくま新書)です。


ちょうど「三色ボールペン」で斎藤先生がメジャーにデビューする前後だったでしょうか、


野中先生は、「これからこの人はもっと伸びるよ」と言われたのが印象的でした。


まさにそのとおりになったので、いまだに覚えているエピソードです。


いま月刊MD5月号原稿をまとめるにあたって久しぶりに引っ張り出しています。


今読んでも発見がある。


なかでも斎藤先生は古典の効用の再抽出においては比類なき技を持たれています。


「できる人~」は「徒然草」を上達論のテキストとして再定義したところがもっともユニークだと思っています。


第百五十段、芸能を身につけようとするとき、


「うまくできないうちは、なまじっか人に知られまい、内々でよく習得してから人前に出るのが奥ゆかしい」と言っている人は、


「一芸も習ひうることなし」と厳しく言っています。


反対に、


「未熟なころから上手な人にまじってそしられ、笑われても恥ずかしがらずに平気で通して、稽古する人は、生まれつきの素質がなくても、我流に陥らず長年稽古に励めば最終的には上手の境地に至って、世間に並ぶべきものなき名声をうる」


と言っています。


若いときの失敗は許されると言いますが、まさにこれですね。


口がうまく、知ったかぶりをし、取り繕って表面上うまくいっているように見える人は、実は中身がない。


むしろ若いときにどうどうと恥をかき、先輩同僚、後輩から「あほ」呼ばわりされても、上司から鍛えられそのなかで経営の本質をつかんできた人は、数年のちに花開きます。


店長という職能も同じかもしれません。


ドラッグストアは店舗数が増えるにつれ、若い店長がどんどん誕生します。


若い店長のなかには、プレッシャーで不安に感じる人も多いでしょう。


ですが、若いときには大いに恥をかくことが不可欠です。


先輩、同僚、後輩から誹られ、笑われましょう。


ですが、その中にかならず「上手な人」がいます。


経営者の理念を見事に具現化している人がいます。


その人を真似ることで、かならず上達の道が開かれるはずです。