流通の世界の一端、現実を知る人間として一言。
日本の農作物、加工食品の品質、それを支える技術が高いことは理解できる。
しかし、たとえば、アジアのある国で継続的にある農作物や加工食品を売り続けるためには、その国の流通チャネルを深く知る必要があるのではないか。
申し訳ないが、政府機関主催の見本市でいっとき人気を博したくらいで日本の生産者が維持継続していけるだけの販売数量を売り続けることは不可能にちかい。
アジアのどの国にあっても優れたローカル流通があり、かれらは独自の商取引基準、習慣がある。日本流通はかれらとローカルにおけるソーシング競争を繰り広げている。
競争は同業他社ではなく自分自身、あるいは顧客への対応次第ときれいごとを言ってみても、まったく無意味なのが世界の現実。かれらはとてもしたたかで強靭だ。
私自身はTPPに賛成でもなく反対でもない。二者択一できるだけの根拠を持ち合わせていない。
おぼろげながら思うのは、仮になにか日本産品をどこかに売るとして、各国の商取引習慣、ローカル流通を知らないことは、地図もなく漂うに等しいのではないかということだ。
アジアにある日系の高級スーパーをみて、品質が高い商品を富裕層に売ろうと考える素人はプロの流通の世界にも意外に多い。
数パーセントの富裕層だけを相手にして、日本の生産者が潤うだけの果実を得ることができるなら、ぜひその実例を見せてほしい。
このような幻想を日本の一部のマスコミが喧伝しているのは嘆かわしいことだ。
おそらくローカル流通のことなどなにも存じていないのだろう。
日本ブランドイコール世界一と無条件に思いこんでいるのは、残念ながら偏狭なナショナリズムの顕れにすぎない。
大事なことは、世界一であることをどのように伝え、売る技術を開発することだ。
ユニクロは、カジュアルアパレルの世界一の品質、機能を追求している。
ニューヨークでもパリでもシンガポールでも「ジャパニーズクオリティ」は賞賛された(生産加工国はちがうが)。
しかしフィリピンにきて、かれらはこれまでのホライゾンタルの展開からバーティカルの展開に挑戦している。
つまり、フィリピンで浸透するためのプライシングとマーチャンダイジングに新たな方法論を打ち立てなければならないことに気づいたのだ。
世界の老練、あるいは若きファイターとたたかい続けているかれらゆえに進んだフェーズと言えるだろう。
その意味で、かれらは日本が世界とたたかう先兵としての和僑にもたとえられる。
かつて、日本の商社、家電、自動車など基幹産業はエコノミックアニマルと揶揄されながらも、新たな市場を次々と開発していった。
このハングリーさは、いま日本にもっとも必要ではないか。
政治屋のいう「世界一」は耳触りがよい。パフォーマンスと考えれば、「美しい」よりよっぽどいい。
だが大切なのは、主題ではなく方法論だ。
iPhoneからの投稿
日本の農作物、加工食品の品質、それを支える技術が高いことは理解できる。
しかし、たとえば、アジアのある国で継続的にある農作物や加工食品を売り続けるためには、その国の流通チャネルを深く知る必要があるのではないか。
申し訳ないが、政府機関主催の見本市でいっとき人気を博したくらいで日本の生産者が維持継続していけるだけの販売数量を売り続けることは不可能にちかい。
アジアのどの国にあっても優れたローカル流通があり、かれらは独自の商取引基準、習慣がある。日本流通はかれらとローカルにおけるソーシング競争を繰り広げている。
競争は同業他社ではなく自分自身、あるいは顧客への対応次第ときれいごとを言ってみても、まったく無意味なのが世界の現実。かれらはとてもしたたかで強靭だ。
私自身はTPPに賛成でもなく反対でもない。二者択一できるだけの根拠を持ち合わせていない。
おぼろげながら思うのは、仮になにか日本産品をどこかに売るとして、各国の商取引習慣、ローカル流通を知らないことは、地図もなく漂うに等しいのではないかということだ。
アジアにある日系の高級スーパーをみて、品質が高い商品を富裕層に売ろうと考える素人はプロの流通の世界にも意外に多い。
数パーセントの富裕層だけを相手にして、日本の生産者が潤うだけの果実を得ることができるなら、ぜひその実例を見せてほしい。
このような幻想を日本の一部のマスコミが喧伝しているのは嘆かわしいことだ。
おそらくローカル流通のことなどなにも存じていないのだろう。
日本ブランドイコール世界一と無条件に思いこんでいるのは、残念ながら偏狭なナショナリズムの顕れにすぎない。
大事なことは、世界一であることをどのように伝え、売る技術を開発することだ。
ユニクロは、カジュアルアパレルの世界一の品質、機能を追求している。
ニューヨークでもパリでもシンガポールでも「ジャパニーズクオリティ」は賞賛された(生産加工国はちがうが)。
しかしフィリピンにきて、かれらはこれまでのホライゾンタルの展開からバーティカルの展開に挑戦している。
つまり、フィリピンで浸透するためのプライシングとマーチャンダイジングに新たな方法論を打ち立てなければならないことに気づいたのだ。
世界の老練、あるいは若きファイターとたたかい続けているかれらゆえに進んだフェーズと言えるだろう。
その意味で、かれらは日本が世界とたたかう先兵としての和僑にもたとえられる。
かつて、日本の商社、家電、自動車など基幹産業はエコノミックアニマルと揶揄されながらも、新たな市場を次々と開発していった。
このハングリーさは、いま日本にもっとも必要ではないか。
政治屋のいう「世界一」は耳触りがよい。パフォーマンスと考えれば、「美しい」よりよっぽどいい。
だが大切なのは、主題ではなく方法論だ。
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