きのうは、早々に投票を済ませ、


図書館で休み用の書籍を借りだめ、


夕方16時半過ぎには、吉祥寺の「ミュンヘン」にて、ビールをかっくらっておりました(笑)。



月刊MD編集長(2代目)のブログ


夜は、選挙速報を眺めながら、翌日の会議資料を整理していました。


まあ結果は想定した通りでしたが、反動(レバレッジ)というのはほんとうに大きいものですね。


しかし、やはりといいますか、最低の投票率だったそうで、


なんとなーく、盛り上がりにかけるなあと思っていたのですが、


悪いほうの予感が当たってしまいました。


投票所にいくと、列を成していたので、関心高いのかなーと一瞬思っていたのですが、


東京は都知事選もあったので、単に事務手続き上の問題だったんですねえ・・。


しかしなんで投票率が低いのでしょうか。


世の大人たちは、


「世の中を変えたければ選挙にいけ!」


「何もしないやつに世の中を批判する資格などない!」


しごくまっとうな正論を吐きます。


もちろんわたしもそう思う。


でも、ネットやSNSの浸透で、既存マスコミの誘導とは異なる価値が世に流布されやすくなった状況の中で、なぜ関心が薄れたのか・・。


ゆっくり考えてみたいのですが、わたくし程度のおつむでは見当もつかず・・、


だれか読み解いてほしいなと思います。


ただ私のなかにも正直生じたぼんやり感。


「前回選挙でなんとなく世の中が変わる変わると喧伝されたが、結果なにもかわらず、むしろ悪化。震災以降の非常時を逆手にとって次々と重要な案件が先送りされる空恐ろしさ」


「国民と約束していないこと(増税)を堂々とおこなって、『実行力』という政治屋の空恐ろしさ」


「財政的に沈没寸前なのに、国民の財産を勝手に担保にとって税収の2倍の国債を刷って、恥ずかしさの臆面もない政治屋の空恐ろしさ」


こんな感情が巻き起こり、実は私も投票に行ったのはいいが、正直入れる人も政党もなく、立ち尽くしてしまったというのが実情です。


投票率の低さは昔から「若者」の無関心ということが指摘されますが、それだけの理由とはとても思えません。


私は流通ジャーナリズムのはしくれなので、


「売れているものはすべて正しい」


という見方をしてしまいます。


つまり、今回の選挙結果も投票率もすべて現在の国民の意識レベルの表れである・・。


それ以下でも、それ以上でもない。


そこからなにを見出すのか。


ちょっと考えてみます。