連休は、ふだんの通勤時間や出張移動時間では読めないような、古典を読むのが常です。
原稿をアップした先週の土曜、近所の図書館で思いつくままに借りだしました。
未読のものが、6割、4割は既読。むかし読んだ本でも、いまの経験値から読み直すとべつの視点や考えが浮かびます、また新しいソリューションに飛ぶことができます。
これが古典の魅力ですよね。
ドラッカー、小室直樹、宮本常一、クリスティ…、脈絡ありませんが。(笑)
さて、タイトルの「宮本常一の屋根」ですが、これもむかし読んだ著作集にあったものです。でもいまあらためて読むとまた違った感慨を覚えます。
こんな一節。
「ひとつだけ見、ひとつだけ書き留めても、たいして教えられるものではありませんが、いくつもスケッチしたり、見たことを書いていますと、そのなんでもないようなもののなかにも、大切な意味があったり、またそれを作り出した人自身もたぶん気づいていなかったであろうというようなことまで、わかってくるのです。(中略)わたしは屋根の形を見るのが好きです。そして汽車の窓などから眺めていて書き留めておくのですが、汽車は走っているものですから、すぐにゆきすぎてしまい丁寧にかけません。それでもたくさんたまると参考になることが多いのです」(宮本常一著作集7)。
宮本常一は、全国を歩き、戦前から高度成長まで連綿と続く、人びとの忘れかけられたふだんの生活、習慣を丹念なフィールドワークで掘り起こし、民俗学の世界に新たな金字塔を打ちたてた人物。
山口県の周防大島出身で、武蔵野美大に職を得ます。
晩年まで東京の多摩地区を拠点としつつも、生涯にわたって故郷への思い入れが強かったところなどにもなんとなく親近感を覚えます。
屋根が好きというのは、いかにもらしい言葉。屋根の形で日本のどの場所なのかわかります。
私は、屋根を店舗や売場に置き換えてみたくなります。
私の仕事、役割があるとするなら、宮本常一のような世界をつくり、なんらかの貢献をしてみたい。そう思います。
日本の小売業の世界に、IE的手法が導入されて約50年。これに加え、民俗学的アプローチを融合させていくことが私の役割ではないかと考えます。
iPhoneからの投稿
原稿をアップした先週の土曜、近所の図書館で思いつくままに借りだしました。
未読のものが、6割、4割は既読。むかし読んだ本でも、いまの経験値から読み直すとべつの視点や考えが浮かびます、また新しいソリューションに飛ぶことができます。
これが古典の魅力ですよね。
ドラッカー、小室直樹、宮本常一、クリスティ…、脈絡ありませんが。(笑)
さて、タイトルの「宮本常一の屋根」ですが、これもむかし読んだ著作集にあったものです。でもいまあらためて読むとまた違った感慨を覚えます。
こんな一節。
「ひとつだけ見、ひとつだけ書き留めても、たいして教えられるものではありませんが、いくつもスケッチしたり、見たことを書いていますと、そのなんでもないようなもののなかにも、大切な意味があったり、またそれを作り出した人自身もたぶん気づいていなかったであろうというようなことまで、わかってくるのです。(中略)わたしは屋根の形を見るのが好きです。そして汽車の窓などから眺めていて書き留めておくのですが、汽車は走っているものですから、すぐにゆきすぎてしまい丁寧にかけません。それでもたくさんたまると参考になることが多いのです」(宮本常一著作集7)。
宮本常一は、全国を歩き、戦前から高度成長まで連綿と続く、人びとの忘れかけられたふだんの生活、習慣を丹念なフィールドワークで掘り起こし、民俗学の世界に新たな金字塔を打ちたてた人物。
山口県の周防大島出身で、武蔵野美大に職を得ます。
晩年まで東京の多摩地区を拠点としつつも、生涯にわたって故郷への思い入れが強かったところなどにもなんとなく親近感を覚えます。
屋根が好きというのは、いかにもらしい言葉。屋根の形で日本のどの場所なのかわかります。
私は、屋根を店舗や売場に置き換えてみたくなります。
私の仕事、役割があるとするなら、宮本常一のような世界をつくり、なんらかの貢献をしてみたい。そう思います。
日本の小売業の世界に、IE的手法が導入されて約50年。これに加え、民俗学的アプローチを融合させていくことが私の役割ではないかと考えます。
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