手塚治虫先生の最晩年の未完作

『ルードウィヒB』。

楽聖ベートーヴェンの若き日を描いたものですが、

このベートーヴェンはもちろん、モーツァルトなど周辺人物の描き方は、いまだに私にとってセンセーショナルです。

とくに、ベートーヴェンがモーツァルトに弟子入り志願をするシーンは傑作中の傑作です。

ベートーヴェンは、モーツァルトにボン時代に作曲した習作を見てもらおうとします。

ですが、モーツァルトは、面倒臭そうに、

『一言で言えば器用な作品だ。そんなふうに自分の作曲ってのをスラーッと弾く弟子志願はゴマンときたよ。新人は自分の一番得意なものを持ってくるが、こちらで、課題をだすととたんにダメになる』。

と、ベートーヴェンに半音階のテーマを与え、即興曲をつくるように言います。

即興演奏とは、あるテーマのメロディをもとにそれを即座に自分の工夫で曲にして演奏することで今でいうライブのことです。

ひとつの主題テーマが形を変えて、なんども曲中に出現し、その巧みさ、演出がいかに人をインスパイアするかが腕の見せ所となります。

『課題を出して閉口するようなら、それが新人の実力レベル』とモーツァルトは言います。

ベートーヴェンは見事にこの即興曲の課題を引きこなしました。

このベートーヴェンの演奏中、モーツァルトは、だんだん真剣な顔つきに変わり、

ベートーヴェンが、宮廷楽長の推薦文を出そうとすると、

『そんなものには、一文の価値もない。僕自身が推薦状を書いてやる。ベートーヴェンはこのモーツァルトが認めた数少ない弟子のひとりだとね』。

文章で書くと、私の力不足でこのシーンは少々陳腐になってしまうのですが、

手塚先生ならではの、矜恃がストレートに出ている珍しい部分なので、私はとても気に入っています。

たしかに、ニーズを無視して、自分の得意分野を前面にだすのが得意な人は多いのですが、

課題を出して、その課題を期待以上に見事に超える人は少ないような気がします。

これは、最近テーマにとりあげた「眼高手低」の本質に似ます。

自分の得意レベルや方法が、実は世間やクライアントのニーズにあっていなかったり、鑑賞に堪えないレベルであることを自覚することは、意外と難しいものです。

この『ルードウィヒB』を思い返すたびに、自らを知ることの大切さ。評価は自分ではなく他人が評価をするのだという事実をあらためて痛感します。




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