雨上がりの京都。取材後、店舗ちかくの寺院にてしばし休息。
京都って、どこを切り取っても絵になる。
ただいま最終ののぞみにて東京へ。
藤村先生のご本はやはり素晴らしい。月刊MDも大いに学ばねばと思う。
でも、きょうやられたのは、二冊目。
テリーさんの「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」
すこしお酒が入って情緒的になっているのか、不覚にもこの本で三回も泣いてしまった。
テリーさんはいう、
「もしかしたら落合監督からこの本にクレームがくるかもしれない。お前に俺のなにがわかるのかと。それでも私は書く。それでも私は落合監督について考える。それは、いまの日本には落合博満という人間が絶対必要だからである」。
なんという表現だろう。歴史上の人物について語っているのではない、まだ若い部類にはいるついさっきまでプロ野球の一監督だったに過ぎない人間への評価である。
しかし、私もテリーさんの次のくだりで合点がいく。すこし長いけど、引用してみよう。
「勝つことしか考えていない落合野球は、面白みがない。もっとドラマを見せてほしい。そんなマヌケなことを言っている奴に私は強く言いたい。
落合監督が、批判も非難も罵声もすべてのリスクを厭わずに勝つことしか考えないと言っている。その生き様こそドラマチックなのだ。勝つこと以外に俺が生きる道はないと思い定めて、365日、そのためだけに生きている男のドラマ。これ以上のドラマがどこにあるものか。その本物のおもしろさに気付こうともせずに、さあ私を楽しませてよ。私にサービスしてよと、寝そべっているような日本人は、この先、なにひとつ自分で生きるよろこびを見つけられないということを思い知るべきなのである」。
この見事な慧眼をもって、テリーさんはいまの日本を「子供の国」と表現する。
子供は私である。
本物でありたいと切実に思う。
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