フライト中は、たいてい本を読んでいます。


行きは、読みたかった内田樹先生の「最終講義」。


内田先生の書物は、仏文出身のわたしにとって本当に勇気づけられます。


だって、仏文出身がどんなところで社会の役に立つかということを体現されている方だからです。


まあ、私のレベルなど、まさに「トラの威を借るキツネ(以下)」ですけど。(笑)


でもこういう存在の人がいるということは、ほんとうに幸せです。


さて、「最終講義」の中のまさに「最終講義」の項目は、21年勤められた神戸女学院大学にての講義がまとめられていました。


そこには、ヴォーリーズに対する考察がありました。


ヴォーリーズは、神戸女学院大をはじめ、東京女子大、関西学院大などの学校建築、また近江八幡などに残る教会建築を数多く日本につくった名建築家です。


内田先生は、この神戸女学院大学の美しいヴォーリーズ建築に、いくつかの建築家が遺したメッセージを見出しています。


そのひとつが、


暗い階段、長い廊下を抜けた先にある、「思いがけない光景」です。


そこはトイレなのですが、


好奇心をもって暗い道を歩み、勇気をもって自らの手でドアノブをまわして扉を開けた者だけが見ることのできる、至上の風景が広がっているのです。


内田先生は「思いがけない出口」という表現もつかいます。


まさに、胎内からこの世に生れ出る過程のメタフォールとも言えますが、


ヴォーリーズの思想「校舎が人をつくる」・・この本質をあらためて見せてくれました。


確かに耐震問題など、クリアしなければならない問題もありますが、古い建築の価値がわからない人間はほんとうにさびしいものだなあと痛感します。


けっこうな名門大学が古い校舎を維持できずに(せずに)現代建築を持ってきたりしますが、私も個人的には浅はかだなあと思っておりました。


でも内田先生にあらためて教えていただきましたが、


学校の下駄箱のある昇降口、屋上に通じる階段、どこも暗かったですよね。


いまは昇降口も外光が採り入れられ、あかるく清潔な下駄箱がある意味「売り」の校舎がいっぱいあります。


防犯的にも、これが支持されているそうです。


でも、下駄箱の暗がりから、校庭にでるとき、屋上に通じるドアを開けたとき、まばゆいばかりの明るさに眩暈がしそうな経験をだれもが持っているのではないでしょうか?


わたしの大好きな映画「瀬戸内少年野球団」もこの対比を巧みに取り入れています。


この原体験、原風景こそ、人間の身体感覚を研ぎ澄ますのではないかと思います。


こういうことも教育のひとつの果たすべき役割のように感じます。


「暗く長い廊下を歩き、その先にある扉のドアノブを回した者だけが見られる思いがけない光景、あるいは出口」


この感覚はいつまでも大切にしたいですね。