お盆の真ん中なので、こんな話題を。




タイトルの5つの漢字ですが、なぜこれを並べたかというと、




「思・想・念・憶・懐」




これらは、ぜんぶ「おもう」と読むんですね。




「思う」はあれこれおもう




「想う」ははるかな人を思いやる




「念う」は思いつめる




「憶う」は神霊のおとずれを感じる




「懐う」は故人をなつかしくおもう




「おもう」ひとつとってもいろいろな「おもい方」があるんですね。




ところが、いわゆる文科省の指定する「常用漢字表」で「おもう」と読んでいいのは、




「思う」しかありません。




これが「音訓制限」と呼ばれるものです。




漢字学の泰斗、白川静博士は、戦後の漢字教育の低レベル化に多大な危機を感じ、独自の漢字教育論を提言してきた方ですが、




ほんとうに、この「おもう」ひとつとっても、漢字表現の持つ、豊かな陰影を知る機会がないとは不幸です。




また、いまの漢字教育は、学年別漢字配当という制限の中で、学年によって習うべき漢字が決められています。




それこそ、教科書に出てきた漢字を何の体系もなくただ暗記するだけの教育になっています。




白川博士は、漢字はいくつかの体系にしたがって覚える方が効率的かつ豊かな意味を想像しながら学ぶことができると言います。




いまでも不思議なんですが、兄弟や人間関係を表す漢字はなぜひとまとめで教えないのでしょうかね?




字形の体系のひとつにこんなのがあります。




「屮」これは「てつ」と読み、土から若葉が出てきた形の「草」の一番の元字になります。




それがふたつ横に並んだ「艸」も草、上下に並んだ「屮」は草原、そこに「日(太陽)」が現れ、西に月が残る形が「朝」。




「屮」が4つ並ぶと草原。そこに「日」が入ると「莫」となり、日暮れを表します。




このように漢字は孤立せず、単純な形から複雑な形へと発展していきます。




これが、漢字の体系=「コード」です。




漢字は、白川漢字学が明らかにしたように、古代文化の「精神世界コード」です。




ところで、こういう白川漢字学に基づいた教育を実践している地方自治体が一か所だけあります。




それが、白川博士の故郷である福井県です。福井県は「漢字教育特区」を設け、白川漢字学を実践しています。




周囲に福井県で小学校を過ごされた方がいらっしゃれば、聞いてみてください。




「口」の成り立ちは、「口をあけた形」ではなく、「神への言葉を納めた箱」と答えるはずです。




素晴らしいですよね。




さて、お盆の真ん中、




ひそかに、ご先祖様を「懐う」ことにします。




ちょっと脱線ですが、




北斗の拳。




「強敵」と書いて「とも」と読む・・。




我々の少年時代のお約束でしたが、(笑)




原哲夫さん、武論尊さんて、漢字の持つ印象力をよくご存じだったんだなあと思います。

実は、白川博士も、この漢字のルビふりも、日本の高い文化力を示すものとして、研究されていました。

皆さんの好きな、ルビふりは何ですか?