新盆をお迎えする故渥美先生の墓参がようやくできました。
インタビューの移動の合間のほんのひとときでしたが、先生とお話ができてよかったです。
墓碑銘には、先生が手帳に書きつけていたという、「生きた 述べた 愛した」と刻まれています。
フランスの小説家スタンダールの墓碑銘、
「ミラノ人 アッリゴ・ベイレ 生きた、書いた、愛した」
を彷彿とさせます。
先生は、「書いた」のかわりに「述べた」を用いました。
著作も膨大ですが、2500回以上におよぶペガサスセミナーがやはり先生の原点なのでしょう。
ですが、生前、先生は、こうおっしゃっていました。
「実は、しゃべるのは苦手だった。もともと新聞記者であり、書く方には自信があった。だから、恩師である倉本長治先生などとにかくひとたびしゃべり始めたら、皆がしんとして聞かざるをえないような、はたまた涙を流して聞くような、とんでもない人たちのしゃべり方を一生懸命真似たんだ」。
わたしは、前職時代のぺいぺいの頃から、渥美先生のインタビューテープ起こしなどをさせていただいていましたが、いわゆる聞き書きという方法で、しゃべったことを文章に落とし込むのですが、渥美先生は、しゃべったことがそのまま文章になるくらい、整然とお話をされる方でした。
墓碑銘はその人の生き方そのものを表しますね。
明治の文豪、森鴎外は栄達をきわめた人でしたが、墓は、
「(石見の人) 森林太郎ノ墓」とだけ刻むようにという遺言を遺しました。
高杉晋作も、
「東行(ノ)墓」とだけ刻まれています。
あすは迎え盆ですね。
皆さんはどんなお盆を迎えられますか?