間もなくお盆ですね。
お盆は、小売業の皆さんにとっては、帰省先でのおもてなし需要が高まる時期ですから、お休みすることはなかなか難しいですが、
やはり、いまの自分があるのはご先祖様のおかげということで、この時期、お仕事の人もなんらかの形でご先祖様に思いをはせるのもよいかもしれません。
お盆は旧暦七月に先祖霊や諸精霊を家々に迎えて饗応する行事です。
「盆と正月」というくらい、お盆は年中行事としてはお正月(歳神様を饗応する)と並ぶ重要な祭事です。
迎え盆の日には、夕刻に迎え火を炊きますね。
家の中には、先祖霊をお迎え場所とする「盆棚」をつくります。
このときの提灯も岐阜提灯などいくつか種類があって、また配置もさまざま。全国のホームセンターを取材したとき、いろいろ教えていただき、面白いなあと思ったものです。
ナスやきゅうりにわりばしをさして、牛馬に見立てますが、これはこの世とあの世を行き来する乗り物です。
この1年に亡くなったばかりの新仏がいらっしゃる家では、新盆、初盆といってとくに念入りに供養します。
盆中に僧侶が盆棚の前で読経供養します。
その際、親族や近所の方が焼香のあいさつに訪れることを盆礼、盆見舞いというそうで、
これが「お中元」の贈答習俗となっています。
また送り盆の日には、送り火が炊かれます。
全国で見られる花火大会は、この送り火の習俗が大規模化したものです。
だから本当は花火は、まさに鎮魂の送り火なのです。
花火大会も大震災で早々に中止を決めたところが多かったのですが、それでもいくつか時期をずらして開催する動きも出てきました。
花火大会を経済効果の観点から開催すべきだという声がこの動きを後押ししていますが、それだけではなく、花火大会のほんとうの意味を理解したいものですね。
また送り火から、川や海に精霊をのせたわら船をながす精霊流しも派生したと言います。
夏の全国の代表的なお祭りはすべてお盆にかかわるもの。
「盆踊り」は、盆の時期に祖先歓待と鎮送のために踊るもので、現在のイベント化したお祭りの太鼓やお囃子、美しい手振り所作、軽快な足取り、明るい雰囲気が支配するのは、祖先に喜んで帰ってもらうためです。
「舞踊」という言葉がありますが、「舞」は、旋回運動を表し、「神迎え」を意味し、「踊り」は、上下運動を表し、「神送り」を意味します。
よって、盆舞とは言わず、盆踊りというのは、「送る」という意味があるからです。
日本人はとくに「死」に対する穢れを忌避します。
だから「迎える」よりも「送る」ほうを盛大にしてきました。そしてなるだけ明るく「送る」ことで「死」を切り離そうしました。
これはけっして、「死」と向き合わないということではありません。
むしろ「死」という現実に向き合い、そのどうしようもない哀しみ、憤りを知るがゆえに、それらを封じ込める、あるいは乗り越える意味あいで、「祭り」の持つ明るさを対抗させているのではないかと、わたしは理解しています。
しかし、盆踊りというのは、全国津々浦々、いろんな郷土特性がありますね。
徳島の阿波踊り、岐阜の郡上八幡、富山の越中おわら風の盆は、一度は見なければ・・と思っているのですが、そう思い立ってすいぶん時が経ちました。
行かないとなあ・・。