文系と理系と分けること自体、ほんとはナンセンスですよね。



現代では、二つの融合領域のなかに、様々な課題があって、それらを解決するためには、双方の技術や発想が、求められていると思います。


そういえば大学の学部名も早稲田などは、ずいぶん現代風な学部名になったなあと思うのですが、




多くの大学は、ほとんどが明治以来の名称のままが多いですね。




ある意味、明治のころにつけられた名前って普遍的なのかもしれませんね。




新設大学は、やはり時代をあらわすユニークな学部や学科名がありますね。




先日のブログで、菊澤先生の「目に見えない実在」をどう捉えるかというテーマを掲載したところ、




ある学生読者から、




「理系の自分にはない発想ですね」




と感想をいただきました。




彼女はとある大学のシステム数理学科専攻の方なのですが、そういいながらも、




「文系の発想って大事なんだって思いました!」とのこと。




私からすれば数学科の女の子という存在自体がミステリアスだねえというと、けらけら笑われてしまいました。(笑)




脱線・・。




わたしも以前、大学の付属校の校長を務めていた恩師から、高校生に、キャリア教育の一環として、




話をしてほしいと頼まれたとき、その理由が、




「文学部へ進む子たちのために、文学部出身でもそれなりに仕事をしているところをちゃんと説明して」




とジョークっぽく言われたのですが、ずいぶん失礼な話ですよね。(笑)




わたしも「えー、まあフランス文学なんて役に立ちそうもない学問をやってもなんとか仕事をやってるということをちゃんと説明しますわ」とはりきって講演したところ、




弁護士先生や地方公務員などの諸先輩よりも大いに受けたそうで、文学部の面目をほどこしました。(笑)




顧客IDPOS分析の第一人者であるジェービートゥビーの奥島晶子先生は、




東大の考古学出身の方なんですが、面白いですよねえ。IDPOSデータ分析は、くデータマイニング(=データを掘り起こす)ですから、まさに考古学とリンクしています。




考古学って、ただの遺跡の発掘ではありません。




土器のひとかけらから、その時代の人々の生活を想像することが求められます。




土器の成分や地層の年代を調べるのは、理系の計測ですが、くらしを想像するのは、文系的発想かもれません。




IDPOSデータも同じですね。




なぜこの年代の人がこんな時期にこんな買物をしているのか?




そこには日常の暮らしを想像することが不可欠です。




いまマーケティングの現場で、「レシートアナロジーゲーム」というものがありますがご存知ですか?




これは、店舗でできる簡単なゲーム。




お客様のレシートにある品目を見て、




このお客様の家族構成、年収、嗜好、やっているスポーツ、性格、持ち家か借家や一戸建てかマンションか、




それこそシャーロック・ホームズのようにプロファイリングしてみるのです。




これを店舗のスタッフ同士でやると、マーケティング能力が飛躍的にアップします。




これにIDPOSデータの裏付けがあって、正解があるとより盛り上がりますが、IDPOSがなくても気軽に取り組めます。




奥島先生はそういえば、考古学だったなあと思いだしたのは、




最近、新聞記事で「地震考古学」というジャンルがあるということを知ったからです。




現在の地震学は、せいぜい江戸期あたりの近世からの地震がデータベースになっているそうです。




それより以前は、科学がおよばない範囲という意識なのでしょうか、あまり重視されてこなかったと言います。


テクノクラートの代表である官僚もせいぜい100年。「国家百年の計」といいますが、短いですね。この言葉に縛られ過ぎているような気がします。




それで、今回の原発を襲った地震と津波も「想定外」という言葉が使われました。




ところが、地震考古学の専門家たちは、中世の貞観地震、さらには古代までさかのぼる文献と地層の堆積調査から、「地震」というものを捉えており、かれらからすれば当然「想定内」だったわけです。




わたしは民俗学も好きなので、よく例に出すのですが、




たとえばみんながよく知っている「浦島太郎」などの昔話は、津波による全島被害のメタフォール(暗喩)が組み込まれています。




語り継がれた昔話は、古代の人々の記憶の断片をとどめています。*てんでんこもそのひとつですね。




浦島太郎が、竜宮城に行っている間に、島の人々がだれも知らない人になったというのがまさにそれです。




ハワイのペレの神話もそう。ハワイの女神ペレの姉妹をめぐる話は、ハワイの4つの島が誕生した順番を表しています。




理系の持つ「計測」する技術と文系のもつ歴史を想像する力、これは端的に理系、文系という言葉で表すことは冒頭申し上げたようにナンセンスなのですが、




とくに今回の原発問題にかかわる「想定外」という極めて短期的視野によってもたらされた災厄を振り払えたのは、文系のもつ歴史的な想像力ではなかったのかと思います。




けっして理系が短期、文系が長期ということではありません。




これらは混在していると思います。

理系の方は宇宙や人体、数学といったある意味、無限の領域を相手にしていますからね。実は、文系なんかより時間軸も対象領域もまったく広いのです。

ただ、一見、宇宙も人体も、数学もばらばらの領域に見えて、実は共通項目があることを見抜き、課題の所在を明らかにする能力を「類化性能」といいます。これは文系の能力であり技術。


ビジネスも似ているところがあるなあと思います。




短期的成果と長期的成果のサイクルを理解していない人もけっこういます。




だから一時の成功ですぐしぼむ人、長期にわたって事業を継続できている人、とくに小売流通の世界は変化が激しい。




すぐれた経営者や経営者を支える参謀は、短期成果と長期成果を同時に実現しています。




復興なんてら会議というのがいまどうなっているのか、まったくわかりませんが、宗教学や哲学者をいれるなんて、まったく実務的ではないと批判していたあほな政治家がたくさんいましたが、




わたしから見れば、これこそほんとうにナンセンスですね。




長期と短期をごっちゃにするから話がまとまらないのです。大局的な視点から長期、短期を差配する人間がいないということですね。