いささか、旧聞に属するが、東大の先端科学技術研究センターアイソトープ総合研究所の児玉教授の、国会における発言をいまさらながら拝見した。

児玉教授は、内部被爆、放射能除染専門とする内科医。テレビのワイドショーでも取り上げたそうだが、アカデミズムの立場でこれだけ建設的な意見と対策を提示できる人は、いないのではないか。素直にそう思った。

そして、この人のおかげで、放射能汚染をいかに把握することが難しく、除染対策の現実は相当酷いということが、よくわかった。有難いことだ。

いいにくいことを言う。これは、本当に大変なことだ。

戦前も、経済総力戦の立場から、明らかに敗北が予見されていたにもかかわらず、不幸な戦争に突入した。


少数の論拠に基づいた分析、意見を封殺し、根拠のない無謀の嵐に皆を巻き込み破滅へといたる状況を、


山本七平氏は、「空気」とよんだ。

独自のアプローチで、ユニークな日本学を打ち出した山本七平氏の「空気の研究」は、「空気」についてこのように冷徹に見通している。

「われわれは、常に論理的判断の基準と、空気的判断の基準という一種のダブルスタンダードのもとに生きている」

「われわれが、常に口にするのは、前者だが、本当の決断は、後者であることが多い。つまり、「空気が、許さない」ということだ」(「空気の研究」より。一部まるめた)

日本人の決断は、空気が左右する。空気を読まないやつは、はじかれる。

いまの日本の首相は、皆がやめて欲しい空気に反して、居座り続けるがゆえに、さらに嫌われる。


居座ろうが、続けようが、日本はマスコミも含めて「空気」をつくりだし、そこに多くの人間の感情をのせることが実に巧みだ。そこにのりやすい、のせやすい国民気質とでもいうべきものもあるのだろう。


インターネットの時代になって、かつてのような大本営発表を信じる人間は、より少なくなったように思うが、情報のヒエラルキーはいまだ多く存在するように思う。

空気を打ち破るのは、空気を本当に把握しえたときと、山本七平氏はいう。

児玉教授の発言を聞いて、あらためて痛感する。

空気に流されることと、無関心でいることの恐ろしさを。

空気を打ち破るためには、関心を抱き続け、自分の感覚を研ぎ澄まし、「空気」をつかまなければならないのだ。





iPhoneからの投稿