本日は、故渥美俊一先生の一周忌、ご命日。






ちょうど一年前のきょう、訃報を出張先の韓国で聞きました。






先ほど、小売業における「座学と現場」の話を書いたのも、なにかに引き寄せられてのことかもしれません・・。渥美先生は、まさに、日本の流通業に座学と現場の基礎を構築されました。

よくチェーンストア理論と言いますが、これは、米国にある学問を単に導入したものではありません。渥美先生が中心となり、米国の多店舗展開企業の構成要件を丹念に継続的に拾い集め、ハーバード流のケーススタディとビジネスサイエンス、ウォール街仕込みのスキル&タフネス、そして読売新聞が練り上げた解説記事ロジックを組み合わせ独自に体系化したものです。






一年前の7月末に、わたしも編集に携わりました先生のご本が発売される予定でした。





先生もこの書籍を心待ちにされていたといいます。





先生はこの本の完成を見ることなく、逝かれました。





かえすがえすも悔やまれます・・。




この書籍は、50年におよぶ流通コンサルタントキャリアの中で、1960年代から2000年代前半までの1200以上に及ぶ講義録の中から、時代を代表する珠玉の論考25篇を選び出し、3分冊でまとめたものです。





*『渥美俊一チェーンストア経営論体系 理論篇Ⅰ理論篇II事例篇』(法政大学イノベーションマネジメント研究所 矢作敏行編 白桃書房)





渥美先生は、これまで実務書を数多く出されていますが、生の講義録を一般書としてリリースされたことはありませんでした。*講義録自体は速記録として日本リテイリングセンターの会員向け機関誌『経営情報』に掲載されました。





時代を創った生の講義録ほど面白いものはありません。





それこそ、講義録からは、かつて読売新聞記者時代の社長だった正力松太郎氏のエピソードから、学生時代の盟友でもあった、ナベツネさん、日テレの氏家さん、日本マクドナルドの創業者藤田田さん、流通界ではダイエーの中内さん、イオンの岡田さん、イトーヨーカ堂の伊藤さん、セブンイレブンの鈴木さん、さらにはウォルマート創業者のサム・ウォルトンまで、渥美先生と同時代を生きた綺羅星のごとき本物のカリスマたちの生の息遣いが聞こえてきます。





生の講義録は、時代を映す鏡であり、タイムリーな現実課題へのソリューション提案に主軸が置かれたために、講義テーマ自体は体系化されていませんでした。それを、今回、法政大学の矢作先生の見事な編纂によって、これら膨大な過去の講義録を体系化し、過去をもって現在を見る、未来を読むという「視座」を見出すことにチャレンジしました。そしてその試みは成功していると思います。





「過去」から現代の事象を分析し、未来を読むためには、歴史的視座と「体系」の力が不可欠です。この書籍はその事例の宝庫ですが、それは別機会に譲りましょう。





わたしは、昨年4月末、先生が病にたおれる直前、矢作先生とともに、この単行本に収録するインタビューに伺いました。これは月刊MDや他誌も含めて公的な最期のインタビューになりました。





インタビューのラスト、一番印象に残った言葉がありました。





矢作先生の





「先生のこれまでのキャリアの中でもっとも悲しいと思ったことはなんでしょうか?」





という問いに対して、





渥美先生は、「それはとてもいい質問です」と前置きして、





「流通革新への挑戦を私的なお金儲けで終わらせてしまった人の存在」と答えられました。





学徒動員で遺書をしたため、戦後の荒廃からなにかを成さねばと考えた「気概」、「意志」・・これは現代に生きる私たちからすれば想像もつかない、もはや過去の遺物なのかもしれません。





流通革新による消費者主権の経済民主主義の確立。





これが渥美先生や同時代を生きた流通の先人の方々が掲げた1960年代のスローガンでした。





いま言えば、だれもが前時代的なお題目のように思う言葉でしょう。





くだけていえば、消費者が自由にお店にやってきて、商品を手に取ってみて、選んで買えること。






この「当たり前」=パブリック(公)がいかにして獲得されてきたのか。





人は「当たり前」のことには関心は向かないものです。時間が経ち、慣れすぎれば、「当たり前」は天賦の権利であるがごとく振る舞うのが人の世の常です。





ですが、渥美先生は志を同じくする師、仲間、跡を継ぐ者とともにこの「当たり前」をつくったところに、もっともご自身の矜持を感じておられたように思います。






かつて「人間機関車」と言われ、ひとたび発すれば、雷電、驟雨の如く。名うての流通業各社のトップや経営幹部が震え上がったと言われるほどの傲岸不遜、強烈な個性の一方で、受けた恩義を終生変わらず持ち続けた繊細さと優しさ…このあまりに人間的なギャップに魅せられた経営者はとても多い。だからこそ、トップは幹部にも家族にも相談できないことも相談したのです。

この根底にあるものこそ、ともすれば見失いがちな、パブリック(公)への強烈な思い、そして他者へのまなざし=愛だったように思います。

奥様によれば、渥美先生がもっとも好きな言葉は「愛」だったそうです。ご戒名には、この愛と流通の二文字が誇らしげに並んでいます。この二文字になにを思うか。

僭越なれど、わたしは、それが、その人の流通業に対する思いの深さを示すバロメータになるような気がします。