賀状のやりとりはあったのですが、本日、10年ぶりくらいに高原北雄先生とお会いしました。
田無のそばの名店「進士」にてランチョン。
先生にはわたしが社会人になってはじめて就職した工学系出版社にて大変お世話になりました。
文系ばりばりの私が「技術」というものに興味を抱くことができたのは、高原先生のおかげと言っていいかもしれません。いまでも小売流通の立場から工学系の先生方とご縁をつくれたのは、こういうバックボーンがあったのかなあとあらためて思いました。
先生は現在、NPO法人全国生涯学習ネットワークの会長を務めておられます。
インターネットTVにて、もう7年にわたり週1回さまざまなジャンルの第一人者の方を集めて、「生涯学習」の情報発信をされています。
http://tsgn.dyndns.org/tsgn/tsgnvod.htm
元々は、「はやぶさ」で名を挙げたJAXAの前身のひとつ「航空宇宙技術研究所」(航技研)の第一期生。MIT、名古屋大学工学部航空学科教授などを経て、退官後は、工学を通じた生涯学習環境整備に関わってこられました。
航技研時代は、航空機のジェットエンジンの高温化を実現するガスタービン技術の先駆者であり、テクノクラートの最前線にいらっしゃいました。その一方で、技術と文化のかかわり方について深く研究されておられ、教育者の道へ進まれました。
むかし先生から教えていただいた技術文化論はほんとうにおもしろかった。
・「周礼考工記」(周の時代に編纂された世界最古の技術書)のキャンバーの話。*車輪はキャンバー(緩衝)によってまっすぐ走る技術
・伊勢神宮の式年遷宮の話*20年に一度本殿をすべてのパーツからつくりなおす。また本殿だけではなく何千点もの宝物もつくりかえています。
・モジュールと日本の畳の話
などなど。式年遷宮の話はいまではけっこうメジャーになりましたよね。ですが、10数年前は工学の先生方も知っている人は少なかったそうです。とくに海外の大学の先生がたはとても興味深く聞いていたそうです。
技術と文化、もっといえば技術をどう社会に生かすか、あるいは技術が社会と人間にどのような影響を及ぼすことが予測されるのかという技術思想史、社会技術史の一端に触れさせていただきました。
先生のもっともユニークなアプローチは、
「歴史の時間を具体的な長さであらわす1年1ミリ法」です。
こうすると200年前、2000年前というのが長さという実感であらわすことができます。
きょうは、原発の話もでましたが、
宇宙飛行士は、JAXAの国際宇宙船搭乗宇宙飛行士の放射線被ばく管理指針によると、
皮膚は年間7シーベルト、生涯では20シーベルトだそうです。
1メートルを1シーベルトとすれば、7メートル。
では、20ミリシーベルトはどれぐらいになるのか・・。
ちなみにNASAをはじめ海外の研究機関では、宇宙飛行士がなぜ放射線障害にならないのかを長年研究しているといいます。
こういう情報はもっと出してほしいですね。
高原先生からすれば、大学の工学の先生方も物事の現象や事象を感覚的にどう把握するかというアプローチや方法論開発がきわめて乏しいといいます。だから原発問題でも「単位」だけが先走りすぎて、それは実感としてどれぐらいなのかという極めて基本的なことがわからないまま進んでしまう傾向があると言います。
先生は、アルミホイルの切れ端など日常的な産業製品が「単位」の感覚知を高めるために重要だと言います。アルミホイルの厚さは「ミクロン」という単位を実感するためにです。
以前ブログでも書きましたが、「1億円を一万円で積むとちょうど1メートル」になるそうです。そうなると日本の政府借金はどれぐらいになるのか?距離にすると東京からどこの都市までになるでしょうか?皆さん考えてみるといいですよ。しかも経年変化をやるとなお実感できます。
日本の借金カウンターを検索すると、約1120兆円なので、東京からだと、屋久島の先くらいです。*後日、高原先生より。
また今回の震災の被害総額、復興予算はどれぐらいになるのか?いろんな試算が出ていますが、
ペーパーの数字ではまったくその実感がわきません。
この感覚知の喪失が、リアルの世界の得失感覚をもマヒさせているという見方もできます。
本の世界では、山本良一先生の「1秒の世界」、村上龍さんの「あの金でなにが買えたか」、あと「もし世界が100人の村だったら」など、「感覚知」に訴える表現方法がいくつも試されています。いずれもベストセラーになりましたね。
無機質な数字や情報を感覚的にデザイン化し、人間の感覚知に訴える方法論はiPhoneなどスマートフォンやiPadなどのインターフェースに活用されています。
日本は計算機と携帯電話をつくる技術は世界トップクラスでしたが、人間の感覚知に訴える技術インターフェースの開発にはやはり遅れをとりました。
高原先生は、技術に「感覚知」を取り戻す方法論の再構築が重要といいます。
我田引水ですが、原発技術も結果だけ見れば、「不安定な技術」のうえに「感覚知」を排除する「政策的喧伝」で推進されてきました。ひとたび技術が破壊されたとき、対応が遅れたのは、不安定技術に対する「感覚知」の欠如ではなかったかと思います。だから事の重大性が把握できなかったのではないか。
現場数字の「感覚知」による理解・・これは月刊MDのユーザーインターフェース改革にもつながります。
これは目下の我々の最重要課題のひとつです。
子供の日の昼下がり、東京は曇りでしたが、高原先生の久しぶりのマンツーマンの講義をうかがうことができて幸せなひと時でした。
先生は、この後、知り合いの書家の先生の講演を聞いて行かれました。御年78歳ですが、知の探究を怠らない行動力はほんとうに素晴らしい・・。
先生に比べれば、わたしのフィールドワークのレベルなんて知れています。
読書も大切ですが、やはり外にでないと!