学生時代はなんちゃって仏文学専攻(笑)。
でも卒論はいま見ると恥ずかしくてしょうがありませんが、ちゃんと書きました。
選んだのはアルベール・カミュの『ペスト』。
ル・クレジオかマラルメかミストラルかで迷いましたが、
それぞれ、うちの学校にも時々とんでもない才女がいて、これはかなわないと思ってやめました。しかもみんなきれいな人だった・・。
*うちから東大やリヨン大、パリ大の院に進んだからたいしたもんです。
カミュを選んだのは、有名なアルジェリア独立戦争のときに勃発した、フランスの2大知性「サルトル・カミュ」論争に興味を覚えたからです。
あとは、南仏ルールマラン(カミュ終焉の地)を訪ねたことも。
サルトルは、1950年代、「フランスの帝国主義的なアルジェリア支配」を徹底的に断罪しました。
国際紛争においてはどちらかが「絶対的正義」があるはずだというのが当時の常識でした。
この時期に、「フランスとアルジェリアの言い分はどちらにも一理あり、どちらも間違っている」と考えたのがカミュ。
当時カミュはサルトルにそのあいまいな態度を徹底糾弾され、孤立無援でした。
ですが、のちに「構造主義」という方法論が、確立していき、サルトルの時代はおわります。
構造主義とは、内田樹先生の言葉を借りれば、ちょっと長いですが、
「わたしたちは常にある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから私たちは自分が思っているほど自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちはほとんどの場合、自分の属する社会集団が受け入れたものだけを選択的に『見せられ』「感じさせられ』『考えさせられている』。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも自分たちの視界にはいることなく、それゆえ私たちの感受性に触れることも、思索の主題になることもない」
「私たちは自分では判断や行動の『自律的主体』であると信じているけれど、実はその自由や自律性はかなり限定的である・・とういう事実を徹底に掘り下げたことが構造主義という方法の功績である」
(いずれも『寝ながら学べる構造主義』より抜粋)
戻りますと、
学生時代当時は、よく理解していなかった「構造主義」のものさしで、『ペスト』の文脈を読み解いていこうというのが、卒論のテーマだったと思います。
よくわかっていなかったから、「ぐだぐだ」のロジックになってしまったような・・。
内田先生の本がそのとき出ていれば、わたしのような「なんちゃって」でも構造主義がよくわかったのになあと思うのですが、内田先生の先達として、ソシュール研究の大家丸山圭三郎先生に2年も習ったのですから、ほんとうはもっと理解していないといけなかったかも。*丸山先生は私が3年の時に惜しまれて亡くなりました。直前の1年間の講義は、今思い出しても珠玉だったなあ。
さて、『ペスト』ですが、ご存じの方も多いでしょう。
「ある町(オラン市)でペストが発生。外部と隔離され、町からは完全隔離前に医者も薬剤師も逃げ出した。町に残ったのは、犯罪者やたまたま立ち寄った新聞記者(ランベール)、そして医師のリゥー。新聞記者たちはなんども町からの脱出を試みるが、リゥーの献身的な態度を見て、町に残ることを決意する。そしてペストが去って町が解放された朝、リゥーを援けてきた妻が静かに息をひきとる。町の外部と内部がつながり大勢の再会の歓喜のなか、恋人に再会した新聞記者は、眼前の幸福よりもかつての『連帯』に思いをはせる・・眼前と未来の幸福よりも過去の連帯に惹かれるどうしようもない自分に気づく。」
かなりまるめましたが、
このペストは、当時ナチズム(全体主義=悪)とのメタフォール(暗喩)というのが常識でした。
リゥーたちはナチズムに対するレジスタンスという図式です。
またテーマのひとつは突然降ってわいた災厄=悪でなすすべのない「不条理」に対して人間はなにができるか、なにをなすべきかというものです。
多くの研究者は、人為的な全体主義と自然災厄を同一化することに難があるという批評を行いましたが、この小説は圧倒的な読者の支持を得て、のちに「ノーベル文学賞」を受賞しました。
人為的全体主義と自然災厄はたしかに同一視できないかもしれません、ですが、いまの日本ではまさしく人為的かつ自然災厄による「オラン市」が出現しています。
そこには現実のリゥーが、ランベールが、います。
われわれは出現してしまった現代の「オラン市」にどのような態度を示し、行動すべきか、考えなければならないと思っています。
丸山先生の言葉が思い出されます。
「文学は虚学と言われる。実学の人から見たら、なんと社会に役立たない学問をやっているかと言われるだろう。だが、面白いことに実学の最前線に立つ経営者たちの中には、迷えば迷うほど虚学の徒である私に考えを求める。虚が実を支える。また実も虚も導く。だから皆さんも自信をもって勉強しなさい」。
わたしの好きな言葉のひとつです。
(おまけ)
雨上がりの露がきらきらしていて、ほんと緑がまぶしいですね。
実家の庭に咲く「石楠花」。これってツツジの一種なんですね。
5月というとそこかしこにツツジが咲きますね。
GWは消費者心理の揺り戻しで、道路も観光地も大混雑みたいですね。
これはいいことだと思います。
笠間、益子の陶器市行ってみようと思いましたが、断念・・。
きょうはちょっと自転車で走ってこようっと。