久しぶりに日経朝刊の巻頭に野中郁次郎先生の論が掲載された。


野中先生は、10年ほど前、単独インタビューさせていただいて以来、2度ばかりご講演などでお話を伺いにいったことがある。


最初のインタビュー後、「面白い先生がいるよ」と紹介していただいたのが、当時明大の助教授だった斎藤孝先生。「3色ボールペンシリーズ」で名前が売れ始めていたが、本格的なブレークは、直後の著書「『できる人』はどこがちがうのか」だろう。


野中先生は「失敗の本質」(共著)の筆者のひとりで、若いころ夢中になって読んだ。ある意味憧れの人だった。


同書は、かつての日本軍の戦略的失敗を現代の社会科学のアプローチで分析した古典的名著だ。


きょうの日経での発言は短いが大切な示唆に富んでいる。


もっとも重要だと思ったのは、次の2つ。


1)日本の企業の現場力=「実践知」は失われていない。今後は単なる現場主義ではなく大局的な視野をいかに取り入れていくかが重要


2)現場からのイノベーションが持続的に生み出される共同体づくりを目指すべき。閉じた社会では知の結集、活用ができないばかりか、すでにある知も陳腐化してしまい、使い物にならない


ドラッグストアも同じだ。今回5月号特集では、被災地のライフラインとして懸命の復旧作業と営業努力を続ける店舗の奮闘をレポートしている。わたしもその使命感のすさまじさに深い感銘をおぼえた。


野中先生の言うように、「実践知」は失われていないのだ。


そして今後大切なのは、その「実践知」に大局的な視野を入れていくべきなのだ。


これはどういうことか。


たとえば、日々の営業活動が、消費者利益への貢献のみならず、取引先の活性化につながり、経済活動サイクルがまわっていくという視点がまず挙げられるだろう。


同じ日経で、消費心理動向を示す、消費者態度指数は過去最大の落ち込みとなった。また復興のための増税策が取りざたされている。


そういう逆風下で、いかに「消費を活性化」していくかというテーマについては、一企業の知恵では限界がある。それこそ「製配販」が協働して、新しい消費を開発していかねばならない。そのためには個々の「実践知」が結集され、一段高い視点で体系化されるべきだということだ。


ばらばらの「実践知」は一企業にとってはいいだろう。だが震災後の社会で求められているのは、全体経済の底上げだ。これができてはじめて個々の企業の個性が発揮されるのではないかと思う。


ただ一企業の現場は「実践知」を磨くことに必死だ。その活動自体を妨げてはならない。「実践知」を取り出し、加工して体系化する。そして皆が生産性向上のために使えるプラットホームとしての「実践知」を提供することは、アカデミズムやメディアの役割だ。逆に言えば、これができないアカデミズムとメディアは無用である。


もうひとつの大事な視点。その「実践知」は開かれるべきであり、地域や共同体とも連携していくことが必要だということだ。


「製配販」協働もオープンで考えることが不可欠になろう。マーケティング活動は言うにおよばず、返品、廃棄ロスなど、サプライチェーンの合理化は、「消費活性化のための商品開発、売り方開発」の原資として同時に取り組まねばならないことだ。


また、ドラッグストアは「OTC医薬品、医療用医薬品の提供」という医療人としての側面も持っている。


今回の震災では、「お薬手帳の紛失」など多くの問題が出てきた。


被災者、とくに高齢者は、長期的なケアを講じなければならない。そのためには治療、看護、投薬、介護、心理ケアなどなど複数の職能が機能的に組み合わさる必要がある。


高齢者だけではない。


小さなお子さんを持つ母親、仕事を抱えるお母さんたち、働き盛りのお父さんたち、学生さんたちが地域社会において「健康的な生活」を営むためには「予防」という視点も重要になってくる。


これらをどのように有機的に連携させていくか、「大局的視野」が不可欠だ。


さらには物販とサービスの新しい組み合わせ方、雇用開発という側面も具体的な施策としてクローズアップされるだろう。


「実践知」と「大局的視野」どちらが欠けても、今後の企業活動はおぼつかない。


月刊MDの提案内容もまた同様だと思う。