手帳には福沢諭吉の言葉とある。


福沢諭吉は、幕末・明治維新期のもっとも冷徹な観察者。


「一身に二生」とは、幕末と明治というふたつの時代を生きることの意義や使命感、幸福を表したもの。


この福沢の卓越した視座はときに、批判も浴びた。


古きをすべて因習と片づける割り切りを嫌う者は多く存在した。


しかし福沢は、さいごまでぶれなかった。


「一身に二生」は、現代にも連なっている。


戦前と戦後


インターネット以前とインターネット以後


バブル景気以前とバブル景気以後


阪神・淡路大震災以前と以後


9・11以前と以後


そして東北・関東大震災以前と以後。


これはいまはまだ以前と以後にわけることはできないが・・。


友人にこの話をしたら、


そういう分け方もあるが、もっと身近にも考えられるのではないか。


大人以前と以後


社会人以前と以後


結婚以前と以後


離婚以前と以後


父親以前と以後


母親以前と以後


定年以前と定年後


起業以前と以後


帰国以前と以後


大病以前と以後


喪失以前と以後


この人に出会う前とあと


この本に出会う前とあと・・


以前と以後でくくれないけど、


仕事と遊び


企業勤めと地域コミュニティ


などもある。


これらはだんだんはっきりとした境目がなくなってきている。


境目がなくなってきていることが、社会の豊かさであり進歩なのだという。


でも境目をあえてなくそうとする努力よりも、


このふたつを意識して生きる喜びを喚起させる方が、楽しい気がする。


「わける」ということ自体、古いのかもしれないけど、


あえて「一身に二生」とはこういう風に解釈したい。