きのうは朝から法事、夕方から厄除け祈願・・寺社奉行じゃありませんが、寺と神社をめぐる1日でした。

おかげでこのブログも更新できず・・。


でもまあ、日ごろなかなか顧みることの少ないご先祖様にこの間のことを報告できたり、神社であらためて清新な気持ちになり、きょう月曜の朝はすがすがしく迎えました。


住職のお話もよかった。


法要やお墓参りは普段言葉に言い表せないご先祖様への感謝を形にすること。


なるほどねえ。ご先祖様は大切だと思いながら、お墓参りなんかも任せっぱなしでしたから・・反省です。


でも日蓮聖人であれ、親鸞聖人であれ、ともに「南無妙法蓮華経」(日蓮宗)、「南無阿弥陀仏」(浄土真宗)というお題目は、長い有り難いお経の簡略化を図ったものでした。これを唱えるだけで救われる。


そしてこの簡略化が仏教の大衆化を進めました。平安仏教に対する鎌倉新仏教ですよね。


鎌倉時代の宗教指導家たちは道元(只管打坐:ひたすら座禅を行う)も含めてこの簡略化と大衆化の天才だったといってもいいと思います。この簡便さによるわかりやすさが、武家時代の発展にもつながっています。武家はこの時代、半農でしたからね。


チュニジア政変などを見るにつけ、ネット世界のSNSの利便性、電子書籍リーダーの簡便性も大衆化をどんどん促していくだろうなと思います。それが現実の世界も変えていく・・。


もちろんコンテンツが大事ではありますが、大衆を動かすのは「シンプルさ」ということがあらためて重要なのだということを思い知らされます。


「大衆」ってなんだろうって考えると、また大変なので、このへんで(笑)。


スペインの批評家オルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」を想起しつつ。


たまには立ち止まって考えることも必要ですね。