看護師はジリシンになりやすい職業だと痛感している今日この頃です。
これは私のジリシンがはじまった初日の出来事。(多分、もうなっていたと思うけれど)
なんでこんなことになったんだろうか?ずっと、ずっとずっと考えてきたことを書こうかな。なんて思ったので。同業者の皆様ご自身の心のケア忘れていませんか??
私は、ずっと学生時代からの友人に指摘されていたのに、聞こえてなかったみたいです。渦中にいると聞こえなくなるんですよ。自分の心の悲鳴がね。
なんて怖い。そして、なんていうサムライスピリット。
ここから先は、ジリシンになった事始なんで、読みたい方だけどうぞ。
3月のとある日です。
緊急入院をさばき、必死に日勤を仕上げた後のことでした。1年生が、『私の心に残った看護体験』の優秀賞に選ばれたから、病棟のみんなで、応援&景気づけに日勤者みんなで、発表を聞きに行くよ!となっていた日でした。
1年目2名、6年目、10年目、21年目、40年目
幾人かの選ばれし看護師が、発表をしていました。
発表を聞いて、感動して涙を流す人。ハンカチ片手に嗚咽も聞かれたり……
部屋は狭く暑苦しくモワモワした異様な空気感でした。
8人の発表が進む中、私は21年目の発表の時、15年目くらいの頃の話です。と切り出された内容が全く聞けない状態になってしまいました。
ハタハタ、ハタハタ涙しか出ず、それも感動の涙ではなく、自分を責める涙。落ち込み、ダメだ私とそして、もう無理。無理。私、走れない、頑張れない。ごめんなさい。そんな思いがこみ上げてきたのです。
突然です。本当。
座っている隣にいる上司に、指文字で、つ・ら・い……と訴えるも
上司は感動し涙の嵐。私の様子のおかしさに気がつくことすらできません。
あと3席の発表を残す状況で、出口は閉められ、副看護部長が出口を陣取り、
出ることもままならず。ぐっとこらえて、手で口を塞いで、下を向いて、耐えるのみ。早くここから出して。お願いします。そう願うばかりの心理状態。
最後の発表は何を言っていたのか覚えていません。看護部長の講評も。
発表会が終わり病棟へ戻る階段を上がりながら、もう無理。私、走れない。これ以上は跳べない。無理、無理。頑張れない。苦しい。そういった思いが頭を巡っていました。ボロボロ涙は止まらないまま階段を上がりきりました。
そして、休憩室に戻った途端、呼吸が急激にが促迫となり、日勤者のいる目の前で、過換気発作を起こしたいのです。
公開過換気プレイを……
これがことの始まりでした。
たまたま持っていた不眠時・不安時薬を半分内服し、ソファに腰掛け伏せていました。6人くらいのスタッフのいる目の間で、過換気発作。
自分でもことのおかしさはよく分かっているけれど、自宅に帰ろうにも、息ができない。手も足も頭もしびれ、立つこともままならい。現状は結構コレ救外コース?なんて考えながら、「薬を飲んだから大丈夫」そう言ってみんなには帰るようにお願いし、いよいよだって時には這って休憩室を出れば誰かいる。そう思って症状を鎮めることに集中をしようと試みました。上司が休憩室に、たまたま入ってくるまでの30分では、症状は静まりませんでした。
普通は、過換気発作は、10代から20代に多い症状。30代の私にはあまり該当はしないのです。なのに何故?!
その何故は、次回書くことにします。