ビラーゴって鉄馬は今考えても不思議な鉄馬だ…



多分今から免許を取る乗り手や400cc以上の鉄馬に先に跨ってしまった乗り手には分かりにくい乗り味と言うものがある!!



このビラーゴの開発は国産アメリカンに取っては大変大切な一台なのだが、試行錯誤の上STEEDにその主戦場を持っていかれてしまった鉄馬でもある…



ま~何が大切かと言えば、アメリカンモデルのVツインエンジンのシッカリとしたコンセプトで作られた始めの一台と言っても言いだろう…



発売当初は中々の人気を博したこのビラーゴも純粋にハーレーの乗り味を目指した国産アメリカンとしてはスタイリングこそアメリカンだが中身はハーレーを基軸としたアメリカンとしてはトルク重視のドコドコっとした独特のフィーリングとはかけ離れたものだった…



逆に言えば今の初期加速とハイパワートルクが売りの国産アメリカンのスタイルとしては正統な本家と言っても言い一台だが…



アメリカン=ハーレーを連想する乗り味としてはハーレー乗りに言わせれば全然違うと言われるかも知れないが当時のハーレーで400ccを作ったらと考えればSTEED位の乗り味に壊れやすい&空冷と言うコンセプトが一番シックリ来るだろう…



こんなイメージからSTEEDに取って変わられたがラインナップも2504007501100と各排気量で存在しそれでも結構売れた鉄馬だったはずだが…



気が付くと250のビラーゴ以外走って居るのを見かけない鉄馬となってしまった…



俺がこのビラーゴ250に乗っていたのは1821位までの三年ほど間だが何故先に400ccなどを乗った乗り手には分かり難い乗り味かと言えば…



単純に遅いし、コンセプト&バランス的にも今の鉄馬を見据えて考えればどうしても見劣りしてしまうのは間違いないのが現状だ…

しかし、原付のマグナやジャズを駆って楽しんできた乗り手には純粋に面白いし…



乗り味的なフィーリングも単純に車体がチョッとでかくなってパワーアップした程度にしか感じないので実に違和感無く乗りこなせる…



それにブッチャけてしまえば、このビラーゴ250と言う車体は不具合とバランスの悪さと言う点では天下一品の品物だ…



コアな乗り手は250と言う車検の無いカスタムし放題の状態を是として、お馬鹿な位にロングチョッパーな乗り手が多い…

流石にこの状態ならばバランスの悪さなんぞ問題外なモノが大半なのであまり言う乗り手は居ないが…



単純にノーマルでもバランス等は大変に悪い…



高速道路を120キロ程度と言っても結構ビラーゴ250には限界域の速度なのだが…



メチャクチャぶれる…



はっきり言って追い越し車線なんぞは走ってはイカン鉄馬だし…

大型のダンプなどが横を通過するとチョッとした遊具の様に良く揺れるし風に煽られる…



重量級の俺が乗ってこの感じだと女性が乗ったらさぞ恐ろしい鉄馬だろうかと思ってしまう…



イメージ的にはワルキューレで200キロで疾走するよりビラーゴの120キロの方がバランス面では遥かに怖いと言った印象を感じる…



それと電気関係は確実に何かしら壊れるし、バッテリー関係のモノや感電関係の症状のモノが大変多く感じるのもこの車体の特徴だろうか…

本当によくリコールを出さないで突破できたとある意味YAMAHAの知らんふり具合に敬意すら感じてしまう…



ま~今からそれでもスタイル的に購入を考えるならフロントブレーキが左に付いている車体をチョイスするのがお薦めだ…



一応この右か左かの見分けで前期系(めちゃくちゃ不具合多し)と後期系(ま~何とか何とか)と言う感じの見分けができる…



しかし、国内生産が終わってからも逆輸入と言う形で今でも新車が手に入るが…



逆車と言ってもアジアな地域からの輸入なので偏見ではないが今の新車は何故か怖く感じてしまうので、俺的には国内最終型を探すことをお薦めする!!



俺の記憶の中のビラーゴは面白かったし、十分楽しんだ一台だったが今購入したらきっと物足りなさを感じてしまうだろう…



今の鉄馬が多種多様に新車から旧車まで数多の車種が存在する中で本当にビラーゴを楽しむのは贅沢な事だが難しいのかも知れない

何でもそうかも知れないが…



人間の間隔と言うモノはかなり凄いものだ…



慣れ親しんだ熟練技術とも成れば鉄を削る厚さや丸みが手の感覚で判ると言うのだから…



まぁ~そのレベルの熟練工には足元にも及ばないが、鉄馬も既に趣味の域から条件反射の域でひたすら乗っていると微妙な感覚が幾つか備わって来るらしい…



シングルやアメリカン乗りに多いモノとしては、リアブレーキの感覚は自然と身に付くモノだろう…



多少靴の種類が違っても自身のブレーキペダルの踏み込み感覚程度は自然と足に残っているものだ…



ドラムブレーキの緩みがちな頭を下げたペダルを調整金具を回してクイクイッと自分の好みのペダルの高さとブレーキの効きに合わせて乗り出す感覚はブレーキが効かねぇ~と愚痴を言いながらも身に付く感覚だろう…



何となくだが走り出し前に鉄馬に対して「整備してやったぞ!!」と言う気持ちとブレーキに安心感が生まれるので暖機中の暇つぶしだが俺は割りと好きな行為だ…



他にもその車種特有の感覚と言うモノは存在するが、鉄馬乗りなら車種関係無く身に付く感覚と言うモノが1つある!!



それは車体全体のバランス感覚だ…



鉄馬を跨いで腰をシートに鎮めハンドルを握った瞬間に感じるフィット感と違和感…



毎日乗っている自分の鉄馬なら恐ろしい位に如実に感じる違和感がある…



その感覚はゆがみだったり、ブレだったりと色々あるが…



この感じがした時に一度降りて軽めにチェックすると大概何かが緩んでいたり何かしら普段と違う部分が出ているモノだ…



俺の感覚で一番多いのはペグの緩みとライザーの緩みが一番感じるが…



これもまし締めしてやれば落着く程度で感覚はグリーンにいつも通りの何も感じない感覚に落着く…



このバランス感覚は、自身の鉄馬程で無いにしろ他車種でも同様に感覚的に判るものだ…



アメリカン・ネイキッド・スポーツだろうがどれに乗っても変わりなく何となく判るのだ…



俺の個人的な見解としては、二輪車はアメリカンのカスタム車両が一番全車両中ダントツでバランスが悪い乗り物だろう…



鉄馬に乗った初心の頃に無理をしてカスタム車両を始めに購入してしまうと…



この感覚が正しく乗り手に馴染まないのではと俺は思う…



狂ったモノが基準ではいつまで経っても狂ったモノがベースなってしまうものだ…



基本的にメーカーが販売している車両は一般的に非常にバランスが良い…



この事は車種が変わろうが、ポジションが変わろうがバランスが良い事には変わらない…



このノーマルの車両を1年で良いから乗っていれば勝手に身に付くモノだ…



そんな事を考えると、アメリカン乗りと言うのは感覚音痴が一番多い乗り手の集団なのかも知れない…



これから乗る乗り手には1年間…



鉄馬がクソ面白くて乗っている時間が楽しみの全ての様な時間帯にノーマルの乗り心地と正しい感覚を身に染み付かせて欲しいものだ…



カスタムスタイルをまともに考えたら1年くらい考えているだけであっと言う間に経ってしまうのだから…

「速いね!!」レベルまでは何とか持っていけても、チョッと本気で走れられたら先程までの「速いね!!」と言う言葉が性能差と言う現実で掻き消されてしまう…


どんなに足掻いても、クソ経験さが無い限り同等の乗り手にあっさり抜かされてしまうのがアメリカンの限界なのだ…


ま~そのカタルシスな湖面で走り込むのが非常に楽しいのでもあるが…


そんな矛盾で不可能なバランスの中にビューエルは逃げ道をくれた…


明らかなスポーツスタイルの鉄馬だが…


だれが何と言おうが、ハーレーのパーツで作られたアメリカンとも言えなくも無いモノ…


それがビューエルの鉄馬達だった…


どうやって見てもスポーツなのだが、非常に気楽にハーレーのミーティングや集まりに混じる事が出来るモノ…


ハーレーと言う肩書きを残した上で、スポーツ系のツーリングに気兼ねなく参戦出来るモノ…


他のメーカーが作ったモノではこの印象は生まれない…


ワルキューレやゴールドウィングですら「あれはアメリカンじゃないし…」と言っていた乗り手も当時は居た位だ…


ハーレーが作ったスポーツモデルと言う事に意味があるのが、ビューエルなのだ…


しかしながら非常に残念な事だが…


2009.10をもってビューエルの製造中止が決ったのだ…


ハーレーダビッドソン社的には「ハーレーのモデルを維持していく為に…」と言っていたが、俺にはそうは感じられなかった…


確かにこの世界的不景気で、ハーレー以外のメーカーも車種の縮小が目に付くが…


全てのスタイルのノウハウを持ち、現行最新の技術を持つメーカー達が車種を減らすのと…


アメリカンスタイルとビューエルと言うスポーツの11年のノウハウしか存在しないメーカーのスポーツ部門の製造中止とでは、格段な意味で違うのではと思ってしまう…


古い乗り手は、昔のハーレーのレース参戦の記録を蔑ろにしていると言われそうだが…


最先端のレースから離れ、培ってきた技術を足踏みし止めたのはハーレーの方だと俺は言ってやる…


ハーレー側も今後10年はパーツとアフターの面から保障すると言っているが…


タダでさえメンテナンス性と言う面では、最悪に近いビューエルを10年で放置するのは何とも言えない気分だ…


プラグ1本交換するのにタンクを外さなければ成らないメンテナンス性それがビューエルだ…


俺はそんなスタイルにしたのだからこそ、ディーラーが生涯のモデルの1つとしてビューエルと言うモノを選んだのだと思っていたが…


どうやらそうでは無かった様だ…


ビューエルの創立者でもあるビューエル氏も今後もハーレーダビッドソン社内に残り技術的な協力者として名前を残しているが…


可能性が無くても構わないからビューエル氏自身が「今後ビューエルは作らない」とだけは言ってはいけなかったと感じてしまう…


現行のオーナー達に復活すると言う微かな芽を創立者が摘んだようなものだ…


最高峰のレースに参戦しない技術…


それは、リスクを避けて自分自身の庭の中だけで居る様なもの…


ハーレーの中では最速のモデル…

ハーレーの中で最先端のモデル…

ハーレーの中で最もロングクルーズに最適なモデル…


クソ下らないモノに俺は思えてならない…


ビューエルを無くした事は、今後の環境と現行クラスの性能と言う板挟みで技術を進化させなくてはいけない過渡期に突入する今の時代において…


生き残る事を捨てた様に感じるのは俺だけなのだろうか…


今の基準は間違いなく更にキツイ基準になって各メーカーを襲うだろう…


その時の基準で、現行維持の性能をハーレーは実現できるのだろうか…


維持できなければ、新車を買うユーザーは居ないのではないだろうか…


例え、国同士の圧力の掛け合いで規制をある程度緩和したとしても…


ハーレーが現行維持としたら、その他のメーカーは更なる進化をしているかも知れない…


今年の決断が、ハーレーにとっての時計の針に二度目の楔を打った事に成らなければ良いのだが…


2度目の倒産は見たくないものだ…




貴重な車種が消えてしまった…


既にアメリカンを保持し、国産アメリカン乗りとしての立ち位置を楽しむ俺の様な輩が手を付けそうなもの…


それがビューエルだった…


俺はあくまでも鉄馬好きな野朗で、その中でも飛び切りアメリカンスタイルの鉄馬をこよなく愛しているが…


基本的にはありとあらゆる鉄馬を楽しみたいと言う輩だ…


俺的な話だが、マグナからはじまったアメリカンライフは、途中サイドカーの練習用として拝借したBMWK1100RSの乗り味を知らなければ極端なアメリカン一辺倒の乗り手に成っていたかも知れない…


実に扱うと言う事の楽しさを感じさせてくれる鉄馬だった…


そんなBMWに引かれながら、スタイル的にはアメリカンを好む性質が俺を結局ワルキューレに乗せたのかも知れないが…


俺はアメリカンを転がしながらも、BMWのライディングを楽しめるモノを求めたのかも知れない…


そんな中1998年今から丁度11年前に1983年創業のビューエルをハーレーダビッドソン社が買収し、完全子会社と言う形で日本のユーザーの手に届く様に成ったのが今のビューエルだ!!


ハーレーが作ったスポーツバイク…


こいつは俺の中ではかなりの衝撃的な事だったし、ある意味待ち望んでいたことだった…


今更俺がハーレーを買った所で、2009年までのモデルでは悪いが俺個人の求める鉄馬のスタイルには達していない気がしている…


俺はアメリカンのスタイルにアメ車をイメージ的に重ねる傾向があるようで…


ハイパワー&怒涛のスタイリングと言うものを求めてしまう…


アメ車を持ちたいが、経済的・性質的にオーナーに成れないヘナチョコナな輩の俺は…


そいつを鉄馬に求めてしまう傾向が多々ある…


だからこその「マッチョ系アメリカン」好きだと言う事も明白な訳だ…


しかし、ビューエルのスタイリングは何処からどう見てもスポーツなのだが…


製造している根本はと言われれば、ハーレーでしかない…


初期のモデルのものは、それでもエンジン以外はビューエルの色が大変に濃いものだったが…


モデルチェンジが進むにつれて製造ラインの流れか、大人な話しなのかも知れないが、より同一のパーツをハーレーとビューエル間で共有する様になった…


ビューエル的にはどう言う気持ちだったかは知りもしないが、ハーレーダビッドソンの現行の全てのモデルには実に良い出来事だったと感じている…


ある意味異文化コミュニケーションの賜物だろうか…


スポーツモデル故に、対抗しなくてはイケナイものは非常に厳しい…


アメリカンなら何を言われようが、ハーレー1番で構わないが…


スポーツは日本の4大メーカーを始め、イタリアン・ヨーロピアン共に技術を競い合う場所である…


アメリカンスタイルのハーレーの様に胡坐をかいていたのでは、即座に喰われてしまう…


その為、スピードと性能を追求する技術競争に嫌でも参加しなくては成らないのだ…


それは、レースレベルでの完成度を上げながらタイトルと言う金看板をぶら下げて実績を作り…


それを市販車レベルで、量産性と価格と性能を天秤に掛けながら創り上げなくては成らない作業だ…


そんな中で熟成されるからこそ技術は上がっていく…


ビューエルの製造ラインのパーツの技術レベルが上がれば、折角出来た製造ラインにハーレー本来のアメリカンモデル達も部分的にでものっていくのだ…


必然的にビューエルの築いた看板を共有しながらアメリカンモデル自体の性能にも最新の技術達の恩恵が出始め…


ハーレーのモデル自体の性能の底上げに繋がっていく流れが確立されていく…


時が止ったハーレーダビッドソンの針をビューエルは確かに進めたのだ…


そうした流れで、ハーレーのビューエルと言う血が濃くなれば濃くなるほどに俺には興味が尽きないモノとなっていた…


残念な事だが、2009年モデル迄で実際に国産の1300cc以上のアメリカンモデルに純粋に性能面で勝てるモデルが俺には見当たらないのだ…


車体の大きさ・排気量・コストパフォーマンス…


ブランドと伝統とノスタルジックな何かは俺にはそれほど必要が無い…


そんなモノは、博物館の館長にでもくれてやれば良い…


俺はコレクターではなく鉄馬乗りとして、単純にデカくて・トルクを感じるアメリカンが好きなのだから…


そんな中の長年の無いものネダリが、完全なスポーツライディングが出来るアメリカンだった訳だ…


ひたすら矛盾した事柄だった…


年数を重ねるごとに、アメリカンの技術も確かに向上し…


10年前のスポーツのポンテンシャルには達しているのかも知れないが、結局は過去基準のモノでしかない…


それは現行のスポーツ乗りと走れば走り込むだけ、見え過ぎる位に見えてくるのだ…


ハーレーのラスベガスカフェのレザーの財布…



もう10年以上前に海外旅行が好きな友人のお土産で頂いたものだが…



貰った時に言った一言を律儀に守って未だに使っている…



そう…



こんな一言を言ってしまった…



「壊れるまでは使わせて貰うよ!!」



本当に言わなきゃ良かった…



言われた友人本人も訪うに忘れているだろうが…



友人からの貰い物の為、何故か律儀に使っている…



使っているが本当に使い辛い…



ラスベガス産の財布の為、財布のサイズがドル札使用の為…



日本の札など二つ折りにしないと入りゃしねぇ~!!



カード入れも真ん中に仕切りが有るだけで、機能性など皆無な品物だし…



ハーレーのロゴ入りのボタンなども曲がって付いている粗悪品だ…



唯一、ラスベガスカフェのモノと判る刻印も今では使い過ぎて消えかけている始末だ…



本当に使い辛い粗悪品なのだが…



一向に壊れやしない…



皮の縫い目や裁断も適当な作りな事は間違い無いのだが…



壊れない…



呪いにでも掛かった様に壊れない…



頑固ジジイの様な財布は今日もポケットの中で擦り合わされて、表面とは裏腹に裏面は光沢を放つ位に皮は使い込まれている…



ある意味…



鉄馬乗りらしい持ち物に成ってきているが…



使い辛い…



そんなに使い辛いと言うのなら…



使わなければ良いのにと言われると思うが…



ここまで来ると、妙な意地の世界に成ってくる

誰に負ける訳でも無いが…



壊れる前に、使わなく成ってしまったら…



この粗悪な出来の財布に負けた様な気がしてならない…



粗悪で頑固ジジイの様な財布を使っている内に、俺も頑固に成ってしまったのかも知れないが…



気分的には、勢いで作ってしまったロングチョッパーを乗り辛いからと言って自ら降りる様な心境だ!!



格好悪い話だ…



全く今日もこのクソみたいに頑丈で粗悪な財布を文句を言いながら使っている…



まだまだ…



この財布との意地の張合いは続きそうだ…













良いも悪いも濃い連中が多いが未だに嫌だと感じてしまう瞬間がある。



大多数の乗り手達は気の良い悪が多いのだが…



一部の乗り手のハーレー乗り独特の差別意識が俺を不快にさせる…



1つは国産のアメリカンをあからさまに見下す傾向があるのだ…



二輪車ってモノはそもそもアレだ!!



四輪車と違って「生活にそれ程必要なのか」と問われれば、実際にはあまり必要とはしないものだ…



だからこそ二輪車ってものは、趣味が先行する乗り物だと俺は思っている…



そんな自己満足の趣味の世界にハーレー乗りは差別視を持っている事に非常に腹が立つ…



国産のアメリカンを見ては…



「ハーレーのコピーでしょ!!それは…」



「へ~ぇ!!国産なんだ…」



「ハーレーには勝てないでしょ…」



「何でハーレー買わなかったの?」等々…



国産の乗り手なら結構な人に共感してもらえそうだが、実際にこんな事をほざく乗り手は多々居る…



実際、十数年チョッとさかのぼれば、アメリカンの集まり等があってもハーレーなどと言うものには中々お目にかかれなかった…



国産のスティードやビラーゴが腐るほど居てハーレーを見つけると「カッケ~ぇな!!」とか「いつか乗ってやる!!」って感じで見ていたものだが…



単純に考えれば、当時のハーレー乗り=限定解除所持者(今の大型自動二輪)って事だった…



免許制度が細分化される前に二輪免許を所持していて勝手に免許の昇格で限定解除に跨げるオッサン達は眼中に無かったが、10歳位上のハーレー乗りは試験場で1発試験を受からないと乗れない時の乗り手でありガキながらに少なからず憧れと言うものが有った…



それに本当に上手い乗り手で、鉄馬が好きな馬鹿野朗しか限定解除なんてものは持っていなかったものだ…



そんな中でハーレーへの憧れにも似た差別化は有ったかも知れないが、あの頃の方が見下したような差別視する馬鹿野朗な乗り手はむしろ少なかった様に感じる…



そもそも好きで乗っている他人の宝である鉄馬を軽視する様な輩は鉄馬好きじゃねぇ~と俺は思っている…



しかしながら今は違う…



教習所でどんな下手くそでも大型免許を取得できるし、金さえあればハーレーに乗れる…



ハーレーが努力と腕と憧れの対象から、ただの粗悪なブランドを掲げた鉄の塊に成り果てている様に思えてならない…



悲しい事だが、もう一度ステイタスではなく自身が鉄馬が好きで乗っていると言う事を思い出して欲しいものだ…



2つ目は旧車至上主義なところだ…



日本人のハーレー乗りの7割がこの「旧車」って言う古き良き時代って奴に捕らわれている…



確かにアメリカンやヨーロピアン等の旧車には、このレトロなディテールが色気にも似た風合いがあり好きな人間には機械的な美しさすら感じるのは理解できる…



しかし実際に乗るのなら鉄馬馬鹿か良くも悪くも壊れたり動かなく成る事も楽しめる位でないと如何にも成らないものだ…



鉄馬自体も日々進化しているのだから10年一区切りにしてもそれは既に別の鉄馬と言えるだろう…



様々なモデルが開発されて淘汰されて今のスタイルがあるのだから、ハーレーだって例外ではない…



しかし、「旧車」に囚われた乗り手の中には、この正当な進化を否定する輩が多い…



言い分としては…



「この音はショベルじゃないとね!!



「手が掛かるから面白いんだ…」



「乗り味が何ともいえないものだ!!



確かに1個人のフリークとしては決して否定もしないむしろ俺自身も嫌いではないのだが…



しかしながらこれには大前提が必要だ…



「経験」「知識」「愛情」この3つの1つでも欠けていたら余程の大馬鹿やろうか12本ネジがブチとんだ凄い馬鹿野朗でないと楽しめないものだ…



「経験」がなければ乗り味は楽しめないだろうし、「知識」が無ければ気難しい旧車が機嫌が悪い時に対処も整備も出来ずに常にショップに入退院を繰返す日々になるだろう…



また、「愛情」が無ければ、そんな気難しい鉄馬に乗りもしなくなり本当に風化した鉄の塊になってしまう…



大前提=壊れて当たり前くらいで無ければやっていられないものだと理解した上で手を掛け対話しながらご機嫌伺いをしながら疾走する…



そんなフリークが乗るからこそ「旧車」は格好良く見えるのだ…



しかし、今は大型自動二輪が楽勝で誰でも取れる時代…



その為、ハーレーに乗る為の門戸は限りなく広がったが、教習所で普通二輪をすっぽ抜けて大型をいきなり取得する輩の大半は周囲に旧車ハーレー乗りが居りその影響を少なからず受けているし影響を与えているのだと感じる…



しかも日本のハーレー乗りは「旧車至上主義」の乗り手が馬鹿の様に多い…



そしてこの手の輩の仲には免許を取ってまともに走った事も無い初心者にいきなり旧車を薦める阿呆も少なくない…



確かに旧車は熟練の馬鹿野朗には最高の玩具かも知れないが、産まれたばかりの子供に母親が必要な様に初心者には扱いやすい素直な鉄馬が必要だ…



まずは乗る事の楽しさを自身で感じ、様々な事を経験し知識を備えていった上での旧車と言う選択肢が正しいのではないかと俺は考えてしまう…



本当にいきなり「旧車」と言う選択肢は大馬鹿野朗でないと無理な話だ…



俺は大丈夫だと思う輩はやってみれば良いだろうが、選択肢を間違えたと気が付いた時には虚しさしか残らない…



成功した輩は大馬鹿野朗であり、素敵な鉄馬乗りと言ってもいいのだろうが大概は分かりきっている通り失敗する…



初心者に旧車を薦める人間に深さも無いが悪気も無いのだ…



最終的にはその旧車のフィールドに立ってほしいと言うエールなのかも知れないが、しかし見るのとやるのでは物事と言うものは別次元に等しい…



勢いと興味本位で始めた事を継続していく為の餌は、初期の取っ掛かりの時に如何に鉄馬を楽しめたかと言う事に尽きるのではと言えるだろう…



楽しみは全てに対しての糧なのだからこそ、旧車を扱う熟練者は初心者が本当に楽しめる鉄馬を選んでやるというのも役目なのではないかと思ってしまう…



ま~ハーレー乗りの中のその中でのごく一部の連中だが、醜いエゴイストがうようよ居やがるのも本当だ…