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七戸ときどきラスベガス

徒然なるままに…危険思想

もう2年も経つのか…リオ五輪で日本男子は前人未到の銀メダルを獲得するという快挙を成し遂げた。私の母は学生時代、全国区の陸上選手であった故に、幼い頃からオリンピックや陸上大会がテレビ放映されれば、事細かく選手の走りや、競技について説明してくれたものだった。そして、素人知識であっても日本が短距離でアメリカやカナダの黒人選手を凌ぐ成績を修めたという事実は“ほぼ奇跡”であるということを認識している。

 

“オリンピックには魔物が住んでいる”と言われている。世界陸上やほかの大会で好成績を収めることが可能でも、オリンピックでは“魔物”にやられてしまう、という選手もいる。その”オリンピック“の名に込められた”スピリット“がおそらく魔物と呼ばれる何かなのだろう。そのことは同様、長年の歴史のある音楽コンクールにも感じることができる。

 

彼らはもちろん言うまでもなく、徹底したコーチからのプログラムの実践のみならず、個人のたゆみない努力、そして皆の努力が結集した賜物であるということ、そして、彼らのなし得た“銀メダル獲得”という偉業は、日本国中のみならず、アジア人そして世界を唸らせ、そして感動させた。

 

その“男子400mリレー”の競技で、私は個人それぞれの賜物であると感じたと同時に、彼らの、もしくは彼らの家族の“信仰心”を彼らの走りから感じた。おそらく、“神社に手を合わせる“ということを”誰か“がしていた気がした。

 

音楽にも、ショパン・コンクール、やチャイコフスキー・コンクール、という何代も継続されるコンクールが存在する。日本人の偉業がイマイチである、ということは、音楽家としてのみならず、作曲家へ、そして神への畏敬の念、そして信仰心も問われるのでは、と感じ始めている。神に手を合わせ、作曲家、そして“自分自身”をこの世に送ってくれた親、そして先祖に手を合わせることで、プラスアルファの何かを、日本人に見出してほしい。

 

オリンピックも次のコンクールも間近。日本人の健闘を祈りたい。