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七戸ときどきラスベガス

徒然なるままに…危険思想

修士号取得の目処がついてきたころ、OPTを取って米国のどこかで一年間就業しそれから帰国という選択肢を取らずに、博士課程にチャレンジしてみて、もうしばらくアメリカに滞在しよう、という結論に至った。全米は大変広いので、実際学校を訪れることはせず、インターネットでピアノ・パフォーマンスのフィールドで博士課程を設置している大学を探してみた。

 

だいたい音楽学部の合否はオーディションの出来具合によって決定される。そしてエントランス・アドミッションの時期は決まって1〜3月の間だ。当時ニューヨークに在住していて、ニューヨークの冬の寒さというのは日本で言えば北海道レベルで、私の心も体もどこか温暖な地を求めていた。

 

そして見つけたのがフロリダ州にあるマイアミ大学を受験してみようと決めた。オーディションは2月下旬で、マイアミ国際空港に降り立った時は、まるで常夏であった。Tシャツと半ズボン、そしてつっかけ(通称ビーチサンダル)という格好で、空港から乗ったタクシーキャブに”近くのビーチへ連れて行って欲しい“と、まず海水浴を満喫したのを覚えている。

 

翌日、オーディション会場のあったマイアミ大学へ向かった。第一印象は”学生たちは果たして何しに学校に来ているのだろう“であった。聞くところによると、マイアミ大学の学生は、父兄が富裕層である子女が多く、主に学校の勉強の傍、週末はパーティ三昧、友人との交友を主とした学生生活がメインであるということだ。マイアミ大学イコールパーティ・スクール、なんだって。

 

オーディションでは、これはどこの学校でもそうなんだけど、バッハの平均律から一曲、ロマン派から一曲そして、20世紀の音楽から一曲を、1時間のプログラムで構成する。私は、平均律の第2巻から一曲、シューマンの謝肉祭、そしてプロコフィエフの後期のピアノソナタを用意してオーディションへ臨んだ。普通はリサイタルやコンサートホールで行われるオーディション。マイアミ大学では一教授のレッスン室で行われたが、おそらく全体の音楽の構成より、細かい解釈や指使いを教授陣は見たのだろう。大音量を出すのは得意なのだが、細かい表現が苦手な私は…… 緊張の中の緊張、でオーディションに臨んだ。

 

博士課程というと、教授の助手をしたり、ほかの楽器や声楽の学生の伴奏をしたりして”アシスタント“の仕事をしながら学業に励む。いいかえれば、アシスタントのお仕事のお給料がなければ、”授業料免除(アシスタント=授業料免除)”でなければ、学費を払いながら、というのは結構つらいものがある。日本の音大で、学費・生活費を使うにいいだけ使ったから、合格通知をいただいていたものの、マイアミ大学からはアシスタントの仕事を得ることができず、進学を辞退した。そして“常夏のマイアミ”で好きなピアノを勉強できたらなぁ、という願望は夢に消えた。

 

さて、このマイアミ大学。現在は1990年のチャイコフスキーコンクールで3位、そしてショパンコンクールで2位を受賞されたピアニスト、ケヴィン・ケナーが教授として教鞭をとっていらっしゃる。日本では知名度の高いピアニストなので、彼のもとで勉強したい学生がいれば是非ともチャレンジしてほしい。TOEFLで規定の点数を取り、オーディションでそこそこの成績を収めれば、アシスタントやりながら無料で勉学に勤しむことが可能であるから。