黙ってローラと祐子ちゃんとルームシェアしてりゃあいいものを、学期末のレポート提出で教授のダメ出しを食らった。英語の意味がmake senseでないから書き直せって。困った、当時は英語をネイティブに話すお友達が周囲にいなかった。
そこで大学のオフィシャルの伴奏者、数少ない日本語で話すことのできる“マサコさん”にヘルプを求めた。マサコさんは、桐朋学園から留学してきたピアニスト。ピアノのことや学校生活、そして進路のことなど色々相談に乗っていただいていた。どうやら彼女のご主人のお友達に、私の英語を直してくださる方がいらっしゃるらしい。
“ミチコちゃん、今度の木曜の夜空いてる?”(ダンカの本名はミチコなのである) 。テキサスの大学は月曜から木曜に授業設定がされていて、金・土・日曜日は週末でおやすみなのである。要は週末の夜は空いていますか?ってこと。どうやら私の英語のTutorに紹介してくれるらしい。それに先駆けてご主人のガブリエルさんが、”ミチコ、僕の友達のマイクにあってみないか?“。若干鈍い私も、どうやらガブリエル氏とマサコさんが、マイクというtutorを紹介してくれる、と理解することができた。
マイケルは、ノーステキサス大学で当時音楽学を専攻する博士課程の学生であった。“イギリス系の彼の英語は間違いない!”とはお2人の推薦である。彼が言うには、“ミチコ、君のプロフェッサーは第一に君のレポートに目を通していない。たった1ページだけだよ、彼のマークが入ってるのは”。愕然とした。あんなに一生懸命努力して書き上げたのに、たった1ページしか目を通してくれていないなんて… マイケル曰く、“ミチコの英語力云々の問題じゃない。こりゃ人種差別だろ”。“そんな大学辞めちまえ、そしてノーステキサスに来るんだな!“、マイケルのアドバイスであった。
”え?!ちょっとまってよ! 私のレポートを教授に読んでもらえるように英語直してくれるんじゃ…?!“。 ”うん、わかった、あとで僕が書いとくから”。 それじゃあ、もっとダメじゃん!って思いながら、実際彼の書いてくれたレポートを提出。
“ほら、彼人種差別してるだろ”。 ひどいグレードをつけられた。マイケルは、教授が人種差別で、ミチコがなにをやってもなしのつぶてだよ、と言うことを証明してくれたのだ。
秋学期の学期末のことだから11月下旬のことだった。なにをやっても無駄なテキサス女子大に在籍し、学位を取得したい、という意思は無くなった。“マイケル、私とりあえず日本に帰る。春学期には帰って来られるかどうかわからないけど…” ダラス・フォートワース空港で帰国便に間に合うように車で送ってくれたマイクにそう伝えた。
帰国後、あまりのストレスで数ヶ月寝たきりの生活が始まった。想像していた以上に精神も身体も参っていたようだ。
そして一年後、ニューヨークに再度渡米した時、またマイケルに会うことになる。