雑談:なぜ時間だけ世界統一で60進数なのだろう。 | 会社を辞めた社会人が大学院留学したブログ

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留学に至るまでの経緯と現状を書き残したいと思います。在オーストラリア。

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晩御飯を食べ終わった後、ケータイでヤードポンド法 vs メートル法について調べていました。

 

はー、世界でメートル表記じゃないのって実質アメリカだけなのか~~度量衡の規格統一って難しいんだな~と思っていたら、ふと気になる文言を発見。

 

何故時間だけ60進数なのか??

 

たしかに・・・インチ、フィート、オンス、さらには℉と独自路線を進むアメリカでさえ時間は60進数。なんでだろう。

 

そういえば小さいとき、数字の10進法表記は自然に定着したけど、時計の読み方を覚えるには少し時間がかかったような・・・・

 

ちょっと調べてみたら面白かったので書きたいと思います。

 

☆まず、なんで数字は10進法なのか

僕らって当たり前のように数字を10進数として扱いますよね。

9の次の数字は、一の位が0とリセットされて、その代わりにそれまで存在しなかった左隣の位に1が現れ、10と表記しています。なぜこれを知っているのか。

 

ちょっと記憶をたどってみましょう。多分小学一年生とか幼稚園とかそういう所で教わっていたはずです。9の次は10でその後11ですよ~みたいなね。

 

その時、どういう風に数を数えていたでしょうか?

頭の中で1~10をぱっと認識できる前は、おそらく指を使って数えていたと思います。その後、一回全部使い果たした両手の指を再使用して11以降を数えたりしたはずです。

 

この時、何となく感じると思うのですが、一回10で区切りが来た感じがしませんか??ターニングポイントというか、そんな感じ。

 

そう、まさにこの10本指を使い果たして一区切りの感覚が数字が10進数であることの起源!!!

 

昔の赤ちゃんだってものを指を使って数えていたのです。つまり、人類誰しも10で一旦ターニングポイントが来ている感覚を得ているはず!

 

これが数字が10進数となった理由の一つ、らしいです。もちろん、(※諸説あります)ですけどね笑

 

10進数が生得的な理由と結びつくなら、なぜ時間は60進数なのか。60進数なんて時間くらいにしか使われていないぞ。。

 

☆なぜ時間は60進数なのか。

本題にも関わらずなのですが、、、、なんというか納得できる回答を見つけられませんでした・・・。

大体のネット記事をまとめるとは60という数字がいろんな数で割れて扱いやすいからみたいなことが書いてあるだけでした。

 

なので、理由を主観で予想してみます。以下、参考資料等全くない完全な個人的予測ですので正否の程は悪しからず。

 

まず最初に、ものの数を数えるという行為自体は、人間側に主導権があるのではないかな?と僕は思います。

例えば、〇〇〇〇〇〇〇←〇は何個?という問題があった時、

2進数なら=111個

5進数なら=12個

10進数なら=7個(この問題の場合は7~10進数のいずれでも=7個)

と表記し、人間に都合のいいやり方で表記すればいいのです。そろばんなんかは5進数っぽいですよね。

こういった意味から人間側つまり数える側に主導権がある感じがします。

 

では時間の場合は?

時間の数え方は、ただ数を数えるのと違い、明確に数えるべき対象があり、正解があるようにおもわれます。測られる時間の単位、被測時間単位とでも言いましょうか、これ自体人間が作り出したものではありますが、人間が被測時間単位の正解を生み出した経緯も辿ってみれば、人間の生得的性質に答えがあるはずです。

 

ちょっと何言ってるかわけわかんないと思うので、具体的な例を出します。

まず、なぜ人間は時間を計測したいと思ったのでしょう。

その方が効率が良かったからではないでしょうか。時間に単位があれば、人と待ち合わせができますし、パスタがアルデンテになるゆで時間を記録してレシピ化できます。

 

では原初、まず人間が測りたい、正確にとらえたいと思った時間の単位は何でしょう。

おそらく”一日”ではないでしょうか。

おんなじ場所に棒を立てっぱなしにしたとき、その棒から伸びる影の長さや動きに周期性があると気づいたどこかの天才がいたはず。

 

ここから”一日”の発見と測量が始まったはずです。そこから、影には太陽が影響していることがわかり、地球と太陽という二つの星が存在し影の周期に関係していることがわかり、ガリレオが地球って太陽の周りをまわってるんだぜと言って袋叩きにあい・・・といろいろなことがわかっていく中で、

天体の動きに人間が測りたい被測時間単位の答えがあるとわかっていきます。

 

天体の動きに被測時間単位の答えがある、、、では天体の動きに共通する法則はなにか?

 

これは円軌道ではないでしょうか。自転も公転も動きは〇(円)ですよね。※楕円軌道とか公転速度が一定でないとか細かい話は無視しましょう笑

 

まるい軌道を基本としたの天体の動き、そこから生まれる一日、一年という時間の区切り、そしてそれらの時間のルーティーンに基づいて人間は生活している。。。

つまり、〇というカタチ一周が時間を図るうえでの一つのターニングポイント、指折りで数を数える場合における10のような存在となります。

 

では〇を一周するという一つのターニングポイントをとらえるにはどんな数字がちょうどいいでしょうか?数を数える場合は10でした。

 

答えは・・・・360デスネ。

 

ですが、、〇を一周、つまり自転一周、公転一周(=丸一日、丸一年)という時間は日常生活で扱うにはやや不便、少し長すぎます。もう少し細かい単位が欲しい。

 

ではどれくらい細分化すれば使いやすいか?自転一周、つまり一日を例にとれば、現代では24分割がいいとされています。

ですが、人間は何も一日を24分割した単位のみでとらえているわけではありません。午前午後という2分割、一年だったら四季に分けて4分割、暦に分けて12分割。いろいろ360を分割して使います。

 

さてさて、〇一周=360をいろいろ分割するとこんな感じ。

360/2 = 180

360/4 = 90

360/12 = 30

360/24 = 15

それぞれの分割後の単位を図るにはどんな数え方がよさそうでしょうか。。

これはやや感覚ですが・・・360のあらゆる分割の商をとらえるには・・・・なんとなく60がいい気がしませんか??笑

というか60が一番気持ちよくて違和感ない計測単位だったんですよ!だって世界中で時間は60進数だからね!

と、こういった数学的な背景が人間が時間に60進数を使いだしたことの理由だと思うのです。

 

実際いろいろ調べましたが、時間を60進数で測ろうぜ!と誰かがルールを作ってみんながそれに倣った、というより、

世界各地で時間は60進数、またはそれに互換性の高い測り方で捉えられていたため、60進数で行こうぜ!と誰かが後付けでルールを作り、それが違和感なく浸透していった というような背景みたいです。

 

なんで誰かが決めてもないのに、世界各地で60進数っぽい感じで時間がもともと測られていたのかというのは、なんとなく人間が60で測るのが都合よくねと直感的に理解していたからなのでしょう。実際1~100までの数字で60が最多の約数を持っていますし、60は割ってもかけても超使いやすい!みたいな感じだったのでしょう。

 

まとめると、

何故時間は60進数なのか?

 ・人間が単位化したい時間は自転と公転によって周期付けされたものだった。

 ・自転と公転は基本〇の形

 ・〇を測るには360が都合いい。でも〇一周を一単位ではちょっと日常で使うには不便。

 ・〇を分割して使いたい、つまり360をいろいろ分割して使うときに、60を使うとちょうどよかった。

 ・こういう数学的な背景が、何となく人間が自然と60進数に直感的な使いやすさを感じて積極的に採用した理由ではないか。

 

☆60進数以外の時間のとらえ方

長い歴史の中には、60進数以外で時間をとらえようとした考えもあります。それは十進化時間といいます。

 

フランス革命の時期に提唱されたもので、人類史のなかで公式に10進数が時間の単位となったのはこのフランス革命歴だけなのだとか。

貴族が作った制度なんかぶっ壊せ!!時間が60進数だったのも10進数に変えてやる!!みたいな気持ちだったんでしょうか。

 

ですがやはり、うまくは普及しなかったみたいです。2年くらいでやっぱナシ!とされたようです。

 

☆日本の昔の暦

こっからは補足。一日が24時間制になる前(主に江戸時代)、日本では一日を12分割していたようです。今でいう2時間が一つの時間単位だったわけですね。

そしてこの2時間のかたまりにそれぞれ十二支()の名前を割り振り、丑の刻などと呼びました。十二時辰とよびます。

 

そして各時間、例えば丑の刻であれば午前1時~3時を指し、丑の刻が始まるAM1:00を丑の初刻、丑の刻の真ん中AM2:00を丑の正刻と呼びました。この場合AM3:00は寅の初刻となります。

 

さらに、当時は時計が一般的でなかったため、お寺がそれぞれの2時間単位の正刻に鐘を打って知らせていました。子の正刻AM:00で9回、丑の正刻で8回と数を減らしていき、AM10:00の巳の正刻で4回鳴らしたら、AM12:00の午の正刻で9回にまた戻り、また数を減らしていって、次の子の正刻には9回に戻すという風にしていました。

 

さらにさらに、同じ2時間単位の中でもそれらを4分割し、AM00:30=子の一刻、AM1:00=子の正刻=子の二刻、AM1:30=子の三刻と呼んだりもしました。

 

まとめた図がこんな感じ↓

 

じゃあ、そもそも時計がない中でどうやって十二支を各二時間単位に振ったのか。これは日が昇った時を朝6時、つまり卯の正刻、日が沈んだときをPM6:00=酉の正刻としていたんですね。それぞれ6回鐘が鳴らされる時間であったことから、明六つ、暮六つとも呼ばれました。

 

当然、当時は時計なんてありませんから、日々時間が変わる日の出と日没に合わせて明六つ、暮六つの時間も変化していくわけで。なので季節によってそれぞれの十二支も厳密に2時間ではなく、夏至の時は卯~酉までの昼の時間が長く、昼の刻限も2時間より長くなって、夜の刻限が2時間よりも短くなりました。冬至の時は逆になりました。この時間の制度を不定時法とよびます。

 

そんな曖昧じゃ困るよ!!と思うかもですが、当時はそれでよかったのです。日の出とともに起床して働き、日没とともに寝てたわけです。現代社会と比べて、正確な時間把握のニーズがそこまでなかったのでしょう。

昼夜の長さに合わせて時間を変えるサマータイム制度はある意味日照時間に生活時間を合わせてた十二時辰っぽい考えといえるかも。

 

※十二支の時間呼びから生まれた表現

・午前午後=午の刻より前か後かってことですね。

・正午=午の正刻からきてます。

・うしみつどき=丑三つ時、つまりAM2:00~AM2:30のこと。草木も眠る丑三つ時ってね。まあ現代社会のブラック企業社員は起きてますけどね笑

・おやつ=昼八つから。未の正刻に8回鐘をならしてたことが由来。つまりおやつは3時じゃなくて2時のほうが由来にそっているのか?

・子午線:経線のことですね。時刻を方角にみたてて北が子、南が午であることから。しかし緯線は卯酉線とはいわないふしぎ。

 

以上です。いろいろ調べてみると面白いものですね。あらためて考えてみても、人類みなが示し合わせもなしに60進数っぽいもので時間を測っていたとは、、、なんだか不思議なものですね。干支が12こなのも木星が関係しているとか・・・うちゅうはすごい。