今日1月14日は事務所に向かう途中鎮座するに近所の多賀神社に参拝させていただきました
八王子市元本郷町にある1000年以上も鎮座している日本の神様のご両親伊弉諾尊様,伊邪那美尊様のいる神社です。
当家の氏神様です。
春の様な良い天気でした。
正面から写真を撮らせていただきました
実は1月6日の初詣に参拝させていただいてます。
曇り空ですが提灯が灯されてまた違った雰囲気がありました。
いずれもこのコロナ過の中で参拝が少ない状況で寂しいでが、失礼ですが
私自身はゆっくりと参拝が出来て嫌いではありません。
子供の頃に母方の祖父に連れられて この神社の御祭りに来たことをしっかり覚えています。(昭和の良い時代の頃でした、令和も良い時代になると良いですが、)3歳位だと思いますが御祭りの時に夜店で自動車のおもちゃを買ってもらった記憶まであります。
私の自宅はこの近くなのでよくこの前を自動車で通りますので四季の移り変わりで神社の面影が変わるのが楽しめます。
八王子市は東京でも最も古い街なので高尾山薬王院をはじめ神社仏閣の
数は京都や奈良にはかないませんがかなりの神社仏閣が存在します。
あまり有名ではありませんがこの神社で幕末に新選組が解散式を行ったそうです。私にとっては自然体の神社です
初詣と直近の2度目参りはとても良いことです、又は何度でもです。
おみくじも最初が悪かったら、次に引いて良いおみくじを引くことも許されます。
お正月元旦から数日の初詣は私だけではなくて皆さんも控えていたでしょう、私の場合は毎年元旦には初詣には行きません、この前もブログに書いたようにまず自宅の神様や仏壇の御本尊の仏様が最初でその次が仏壇の
ご先祖様達です。それが初詣です。(本来はそれが本来です。)
現在はこのことが各家庭でできなく成りました。
ここから高尾山のお話です。
高尾山でお正月の御助法をしていた20数年間は薬王院以外の所には行かなかったので初詣は高尾山薬王院の目の前の神仏に真っ先に初詣という事に成りました。
私達はこの日からは全国の大勢のお坊さや山伏が御助法(お手伝い)に
大晦日からお山を登り薬王院に坊入りします。そこでは久しぶりに会う仲間や新しい顔を見られます。
高尾山薬王院は真言宗智山派の大本山ですが真言宗は派別に垣根がありません(智山派、高野山派、醍醐派等々)ですが高野山派の
高野山の学僧さん、京都智積院の学僧さんから各地のお寺を持った位の高い御住職や私の様な修験道の山伏だけをしている先達の先生達の色々な顔ぶれが集まります 挨拶合戦の始まりです。
それぞれのきらびやかな衣装に着替えてさあ始まりです
大晦日の11時後半から年が変わる元旦の0時過ぎから2年参りという大護摩供が盛大に始まります。それから1時間位おきに護摩法要が続き、迎光祭という初日の出を高尾山山頂で執り行う御祭りのお勤め(山頂は極度の寒さです)に参加して、それから少しの間の仮眠と軽食で元旦の朝を迎えます。
自分達は交代で参加しますが修法を行う人達だけでなく高尾山の寺務方、
お札を用意する人、売店の人、料理作る厨房の職人さん、アルバイトの学生さん等々、一同大変な忙しさです。その数何百人ですが一日何千人の参拝客をお相手しなければなりません
1日中お不動様や飯縄大権現様と一緒に護摩修法をして大勢の皆さんの願いを叶えるお仕事のお手伝いで一日何度も法螺貝を吹いてお経と真言をお坊さん達と唱えて護摩供の修法が終わる夕方にはかなり疲労していました、
ぐったりでしが、良い疲労感で良い修行です。
途中から法螺貝の吹きすぎで唇の感覚がなくなり上手く吹けなくなるのが一番つらかったですそんな毎日が約7日間続きます。
そんな元旦の1日が午後4時位には大護摩修法の御助法が終わります。
(先に言っておきますがこの世界は上下身分制度が多大にあります)
さあ大浴場のお風呂に入って作務衣やそれぞれの服に着替えてからある場所に集まります、大宴会の始まりです。いわゆるお疲れ様会と新年会の始まりです。これが楽しみの一つです、多少の上下関係がありますが何十人が輪になって飲み会になります、それぞれ持ち寄った物や各地のお酒、土産物、食堂からの食べ物やおつまみで開催します
各地の御住職や山伏や先生方、学僧さん達とワイワイガヤガヤです。
特に高野山や別の派から来たお坊さん達との情報交換は勉強に成りました、それと真言宗の系列は派別に関係なく応援や御助法など好きな所へ行けるそうです。特に学僧さんはどこに行くかと決める時には
東京にある高尾山薬王院には行きたいそうです。それで選んできましたという話を当時本人から聞きました。弘法大師空海様の開いた真言宗ならではの自由さです。
(こちら自体はなんで八王子の高尾山なんかと当時は思ってしまいました、
たしかにある意味珍しい魅力のあるお寺なのかもしれません)
珍しい話や勉強なる話しや時には気も使いながらの宴会も後半になると2日目の護摩供もあるので早めに自分の部屋に戻る人やまだまだ飲んでる人やらで夜も更けていきます私の場合は坊の自分の部屋に早めに戻って就寝するのが年々定着していきました、2日目、3日目はどんどん参拝者が増えていく為に護摩の時間が長くなり休み時間が少なくなりハードな毎日なっていくからです。
今となっては良い思い出になります、始めたばかりの20代の下っ端時代から中堅方の40代までお正月の高尾山の御助法は色々ありましたが何かと今のこの世の中の人との付き合い方と神仏との付き合い方に
大いに役立っています。
(現在のお山は以上の様なことができる状況ではないかと思われます。1日も早くコロナ過が終了する事を願います)
地の時代から風の時代に移り変っていくといわれていますが
ただこれからは間違いなく私達にとって厳しい時代になるのは確かです。
次回からかその又次回になるかもしれませんが神様の違いを又お話させていただきます、それと神仏との付き合い方に大変間違った行動をとっている方も見受けられます。他の方のブログを拝見すると間違った解釈をしてそれを大勢に広めているのがとても心配です、人の勝手だからと言われるかもしれませんが私達にも影響する事だからでとても大切な事だからです。
いつも最後まで見ていただいてありがとうございます
本年もどうぞ宜しくお願いします。
鶴島大顕