想像のはるか斜め上。 | 前田海香子のブログ

想像のはるか斜め上。

常識だとか、普通はだとか、あたりまえだとか、そんな言葉を簡単に使うわりに、それらをどう身につけてきたかはすぐに忘れてしまっている大人のアタマに、しばしば直撃弾を食らわせるのだこの幼児という奴は。

なんせ、奴らはまだ道の途中。
というより、道は始まったばかり。
ようやくいくつかの単語をつなぎ合わせて言葉をしゃべるようになったばかりの真っ白な存在。

ノールールなのだ。


そんな幼児と生活していると、とんでもないハプニングが起こる。
それも毎日のように。
この百戦錬磨(自称)の39歳、世の中のおもろい事などだいたい経験しちゃったもんねー、と高を括っていたら、まだあったのだ、未知の世界が。
と、いうより、作られた喜びや楽しみしか知らなかったんだな、と思い知らせる。
この90センチに満たない小さな生き物に、涙が出るほど笑わされる日々なのだ。

今日散歩から帰ると、自分でクツを脱ぐというので
「そーかそーか、えらいな、ずいぶん大きくなったな」
と思い、任せておいた。
しばらくすると私のところにやって来て
「たづけしたのよー。(片付けしたよ)」
なんて言うから、おー立派なもんだ、と見に行ったらこのありさま。

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シューズインシューズ。
ぶったまげた。
彼女の片付けのセンスにびびった。

なぜこれが片付けなのかはよくわからん。
何かを何かにしまうことが片付けならば、確かに玄関のたたきにあるものは私のクツだけだから正しいと言えなくもない。

彼女は自信満々。
自主的に「たづけ」する彼女を褒め称えるべきだろう。
しかしこれは世間一般から見たらたづけであろうか。
母である私はしばし悩む。

そうしているうちに、素晴らしい省スペースの収納方であることにも気付き、全てのクツをこうするべきではないかという気持ちも湧いてくる。

オーイェー、天才だぜ我が子よ。
収納芸人もびっくりだぜ。

とにかく、柔らかい真っ白なアタマは可能性に充ち満ちている。
そして私はそんな出来事と出会う度に、自分のシカクシメンのツマラナサを実感し、はて正解はなんだろうと自問自答するのだ。

さてと、靴箱にクツをしまうとするか。