続きを楽しみにして下さりありがとうございます〜

書けるときに…気ままに書いてますので時間が空いてしまったりでごめんなさい笑い泣き

娘ちゃんの矯正治療の途中で引っ越しになった為に東京の友人宅に来てました…

お昼に到着…私はママ友達とランチ

娘ちゃんはセンターにて友人たちと遊び楽しいひと時を過ごし夕方に矯正治療に行きました。

歯の治療は順調で次は6月ですね〜

夜は娘ちゃんは友人宅にて遊び私は

久々にお友達とお話とご飯を食べてきました



さぁ…

インドでの色々な経験は今となっては凄い事ですが…

その時は刺激が強すぎる事もありました。

バナナ🍌やフルーツ野菜等の売り物の話も書きました。

チャイ…ヤシの実等の屋台もあり.私は苦手飲みませんでしたがね

学校生活と言いますと…

普通に勉強していましたよ

ただ…お弁当と水筒を忘れたら地獄でした。

水は浄水器を使い煮沸消毒をした状態で初めて飲めましたから母は毎日巨大のヤカンで生活する為の水を作ってましたびっくり

浄水器から水をヤカンに入れと煮沸消毒1時間
冷まして容器に移して冷やして飲む…365日毎日大量の水を作ってくれた母には感謝です。

今になれば感謝ですね〜

水筒を忘れた時は自分の兄妹かクラスメイトに分けてもらう…お弁当も皆から1品ずつ頂く等で対応しました。

月に2回程大きなグランドに行き全学年で球技等の運動はありました。

色々あったインド生活

食事は日本から時々送ってもらった物や現地で調達した物を食べてました。

豆腐やこんにゃくは粉から作れるのがあったのと一斗缶で醤油、一斗缶の乾燥納豆、一斗缶の水あめ…等が食在庫に入ってました。

小さな時…納豆好きでしたので倉庫で黙って乾燥納豆をボリボリ食べてました。

年に1回は日本、シンガポール、ギリシャと他の国に旅行のついでに食材を買い出しに…

シンガポールは日本の人が多くて…デパートも大きくその時の私はテーマパークに来ている気分だった…

だって日本語通じるし…

なんでもある…

天国みたい…なんて感じでした。

日本に一時帰国の時もですが大量の食材勝ってダンボールに詰めて帰ったのを覚えてます。


エジプト三大ピラミッドは中にも入りました

スフィンクス

この時…ピラミッドの砂漠の砂を大量に持ち帰りましたが後の引っ越しのたびに紛失して今はなくなりました。


子供ながらに…エジプトは神秘的な場所でした
体がスーッと寒くなるような…

何かが近くにいるような…

ミステリアス

ツタンカーメンの墓も行ったけど…

やはりお墓はゾクゾクした…それが小さな私の感想でした。




これはエジプトで30年前に購入した額に入っていたパピリスと象形文字で「まゆみ」と書いてあるペンダントトップ

長い小学校までの話はこれで終わり

インドで凄い貧富の差も目の辺りにしました…
大富豪の方…差別…その他色々

そして残念ながら私たちみたく田舎から学校に通っていたグループと都会の高層マンションに住みお手伝いさんが何人も住み込みでいる
グループとの間に溝を作りたがる大人や子供もいました。

私が初めて体験したイジメです。

その時は天然全開の私はあまり意地悪されてる事に気が付かなかったのと…
毎日が刺激に満ちていたので気にしている暇も無く程なくして…意地悪も無くなり

高層マンションに住む意地悪していた友人の家にお泊りに行く仲になりました…
行ってみて分かった事

そこの母達は朝からマージャをしていて

子どもたちのお世話は現地のお手伝いさん
各自広すぎる部屋にポツンといて

自宅にいながら話す相手も遊ぶ相手もいない

お手伝いさんは言いなりだから…

寂しかったのでしょうねニヤリ

その子は私の小さな家にも来ました…

家族皆で食べるご飯や他愛もない話…広いベッドでは無い川の字で寝る

きっとどれも新鮮だったのかな!

家は父が小上りを作り座卓にして昔ながらの日本の様に生活空間を作っていたから、土足厳禁

玄関を作り靴を脱いで日本に近い生活をしていました。

ダラダラと書きましたが次は中学校生活編

続く。