今日はちょっと私の事をブログに書いてみようかな〜![爆笑](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/001.png)
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北海道倶知安町産まれの小学生低学年まで北海道で伸び伸びと自由にしていたのが小さな時の記憶…
父親は単身赴任が多く…日本だけでは無く海外赴任も多かったので祖父の膝の上をワンちゃんと小さな時から奪い合うそんな娘でした。
小学生4年生の時に先にインドに単身赴任していた父の住むニューボンベイに家族で行く事になり初海外…
わくわくとドキドキの初海外生活…
北海道〜東京に行き…1泊して13時間乗り継ぎをして真夜中にインドに到着
衝撃の日々の始まりでした
まずトイレに行ったらトイレットペーパーは無い…和式みたいなトイレの形だけど水は桶で流す😥もう30年前の話ですから今は変わってると思いますが…衝撃でした
外に出ると真っ暗闇で少し明かりが見えるだけの道を果てしなく走って(夜は気が付かずでしたがスラム街を果てしなく走ってました)
着いた新居…窓は鉄格子みたいのがついていって、天上にはファンが回っていて飛んでくるのでないかと不安に思いながら眠りにつきました。
朝外を見たら
牛が歩いてる…
![びっくり](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/014.png)
私が知ってた牛は黒と白の斑点の🐮だけで
真っ黒や茶色の水牛は初めて知ったのでした。
牛たちはとてつもなくでっかいドラム缶じみたいなゴミ箱の中の残飯を食べてました。
ゴミは自宅前に置いて置くと勝手に捨ててくれる方がいて仕事をくれとやって来ます、一回数円〜数十円…そんな金額だったかと。
ビニール、ダンボール、缶、その他売れる物をゴミ箱からあさり残りを捨てる。
そんな感じでした。
だからプラのゴミ箱にビニールなんて被せずにそのまま捨てるのです。
小さくなったり、不要になった服等は時にはお掃除をお願いしていた方の子供にあげたら
次の掃除先のマダムに奪われたと泣きながら来た事も…その後は全ての掃除を終わってから持ち帰る様に渡しました。
そんなインドでの生活は約3年過ごしました。
私の小学校の卒業証書はボンベイ日本人学校です😁
この時の体験は書き出したら止まりません
通学はバス🚌1時間かけて行きました。
母親が交代で毎日誰か1人毎日乗ってました。
私が住んでいたニューボンベイからは都心のボンベイに行けまでにはおんぼろ橋を毎日渡り…
どうか壊れないでと三年間毎日祈りながら通学してました。
あとスラム街を毎日通過するので…窓を開けて寝ていると、自分と同じ位かもっと小さな子供たちが何かくれとやって来ます。
まだ小学生の私には恐怖でしかありませんでした…
窓から手を入れて物を取られたり…お金やお菓子をくれと…
3年の間に通過場所も分かり、窓を締めたり対策は出来るようになりましたがね。
こちらは長くなるので少しずつ書いていきます。