「話す」ことが楽しくなる。伝わる声をつくるコツ! 司会者・発声発音講師、こえだしや 濱根順子(はまねじゅんこ) です。

 

阪神淡路大震災から26年です。



神戸出身の私は当時、実家で寝ていました。ふと目を覚ますとゴーっという変な音がして(地鳴りですが聞いたことがないので、分からなかった)すぐに大きな揺れが始まりました。



下半身は倒れたタンスに挟まれ、上からは何か降ってくる。(割れた電灯と後で分かります)




訳が分からないうちに揺れは止まり、隣の部屋から母親が「明るくなるまで布団の中にいなさい」と叫んでいました。




そこから丸二日、いろんなことがあり過ぎたのと生きるのに必死で断片的にしか覚えていません。隣の祖父母の家は半壊でほぼ寝たきりの祖父を救出するのが大変だったのは覚えていますが、どうやってうちの家まで運んだのか記憶にありません。とにかく食料と水を確保することしか頭にありませんでした。




停電でテレビが見られないし、ラジオは棚から落ちて電池がどこかにいってしまい聞けません。近所の人の口コミが頼りでした。




被害状況はなんとなくしか分からないまま過ごしてましたが、三日目にいとこが大阪の茨木市から原付で物資を届けてくれてラジオが聞けるようになり、やっと理解できました。




この話を一度したことがあるのですが、その時に「家はあったし大きい怪我もしてないんでしょ?被災者じゃないやん。なんですぐにニュースになってるもっと大変な人助けなかったの?」と言われてから誰にも言えなくなってしまいました。

彼女は家がある=物は倒れず綺麗な状態と思っているようでした。





震災、災害は大きな被害の場所は報道されます。ですが、報道されない小さな被害でも被災者は大変な思いをしています。被害が少ないから被災者ではない訳ではありません。



いろんな思いがある117、皆様にも知っていただきたいと思い、書きました。




※その後、1週間後に通電。ガスはゴールデンウィーク直前まで復旧しませんでした。夏ごろに近くの家を補修している大工さんから「おたくの家は傾いてますよ」と言われるまで気づかす、慌てて業者さんを探してジャッキアップしてもらいました。