小学校低学年の時、私は手癖が悪い時期があった。

自分で覚えているのは、姉・祖父母・そして近所に住む友達…

お金を盗むということがどれほど悪いことなのか、理解が乏しかったと思う。

そして、いけないことをしてはいけないという抑制力も乏しかった。というか、コントロール出来なかったんだと思う。

祖父母の件は母にバレ、怒られて祖父母に謝った記憶がある。

小学校低学年だから、盗んだお金を使う道も分からず、確かジュースを買って終わった。

姉のは母に疑われたが、結局言い張って警察に届けて後に自分のものもなった記憶もある。

近所の友達のは…盗む時の記憶まで残っている。

「おばあちゃんに貰ったんだ」と見せられた千円札。

何を考えていたのか分からないが、盗んだ。

そして盗んでいないと言い張って返さなかったと思う。

結果、小学2年生の秋以降に数ヶ月に渡って彼女から仕返しを受けることとなった。

元は私が悪いという自覚があったし、とにかく彼女が怖かったので逆らえなかった。

私が覚えているのは、宿題は毎日のように彼女の分もやったし、他の子と話すことも禁じられた。

目立ってはいけないと言われていたので、とうに覚えていた九九をわざと出来ないように振る舞った。

何かまずいことをすると腹パンチされた。

字を上手に書いてはいけないと言われていたので、わざと下手に書いた。

彼女が忘れ物をしたら自分の物を差し出された。

よって上履きを彼女に差し出し、かえってこなくて自分の分が無くなったので母に買ってほしいと言った。

その時に母に何故上履きが無くなったのか問われ、「クラスでやんちゃな男子に隠された」と苦しい嘘をついた。

怪しんだ母が学校に問い合わせて、嘘が発覚。

本当は上履きはどこにいったんだと母に言われたが、真実を言えたのか覚えていない。

クリスマスに祖母に買ってもらったプレゼントを、彼女に家に置いていくように言われた。

その時初めて、帰宅して母親に泣きついた記憶がある。

母はすぐその子の家に取りに行ったが、彼女は私が置いていっていいと言ったともちろん話した。

玄関先に彼女と彼女の母が来たが、母親の後ろでいつもの怖い顔をされて真実を言えなかった記憶がある。

冬だったので大雪が降る外を教室から眺めながら、わざと下手に書いた自分の作文が飾られ、泣いた記憶がある。

母はその頃担任の元に通って話をしていたらしく、当時母の日記に「なぜあの子は言えないんだ」という言葉が書いてあった記憶もある。

夜先生に話す為に出掛けた母に「ごめんなさい」という手紙を書き、帰宅した母が寝たフリをしていた私に向かって泣きながら、「お母さんはあなたが大好きだよ」と言ってくれて、寝たふりをしながら泣いた記憶がある。

夜中目が覚めてしまって、朝が来るのが嫌で泣いた記憶がある。

毎晩毎晩、枕を濡らして泣いた。

どうしたら学校に行かなくて済むのか考えていた。

毎週土曜日習字の習い事に行っていて、その習い事には彼女はいなかったので、一緒に習っていた友達に話していた。

その時だけ別な友達に話すことができた。

彼女には誰とも話していけないと言われていたが、その時だけは話せた。

担任の先生に、放課後いじめられる方が悪いと言われた。

もう従ってはいけないと言われた。

でも怖くて彼女の分の宿題をやり続けた。

クラスみんなの前で私がやったことがバレた時、担任の先生から頭を叩かれた。

クラスの目立つ男の子が、「これはなんとかちゃんの字じゃない!あの子の字だ!」と言ってくれたことがあった。

あの時、幼ながら救われた感情を抱いた。

九九で発表グループを作る時、わざと言えないように振る舞っていたから最後の最後まで選ばれず、残り1人くらいでやっとグループ分けしてもらった時に、好きな男の子に自分がどう写っているのか考えたら泣けた記憶がある。

全て私都合の記憶である。

母が担任に掛け合ってくれたので、3年生は彼女とクラスが離れた。

少しだけクラスが離れても続いたが、帰りに彼女からキーホルダーを渡されて、「これで終わり」と言われた記憶がある。

自分の娘が同じ歳になった。

最近娘が、「近所のあの子が怖い」と泣いて訴えてきた。

すぐに記憶が蘇った。

怖かった。

なんとかしてあげたいと思った。

怖くて母に話せないが、話したい気持ちになっている。

元はお金を盗んだ私が悪い。

確か何度も後悔したし、お金を返して報復が終わるならと祈った。

子供がお金を盗む心理なんて、大袈裟なタイトルをつけたが…ただの私の手癖の悪さだ。

そしてクラスが離れたら、私はいきいきと過ごせた。

その後もクラスでのいじめはあったが、あの頃に比べれば大したものではなかった。

あんなに続かなかったし、悪口を言われる程度だった。

でも私は、家で学校のことを話せない子になっていた。

どうか娘には、そうならないでほしい。