すれ違いにトキメケッ☆
人と人はすれ違う。
他人だから。
すれ違いがドラマを生み、互いの気持ちの追い掛け合い。
結果うまくいけばいい。フィクションなら大概はうまい方に転がる。
でも実際は大概うまくない方に転がる。
面白いと思って言った一言。
よかれと思って取った行動。
それが誰かを深く傷つけたりする。
そりゃもうあっけなく。
自分なりに空気を読んでの言動だと思ってるからこっちはポカーン。
(´・ω・`)
気づいた時にはボヤじゃ済まない。
それがまた今回関係なかったはずのところにまで飛び火しちゃったりしたら最悪。
「そんなつもりじゃなかったんだ!」
叫んだところで最早聞く者はなし。
そして人は相手の気持ちを知りたがり、心理テストやウソ発見器や自白剤を発明し、エスパーやサトラレなどの存在を夢想した。
かの野田洋次郎も「ひとつの命として生まれよう」なんて歌った(真意は恐らく違う方向なのだろうが)。
果たしてそれですれ違いはなくなるだろう。相手を思っての言動だと伝わるだろう。
だが、どうだ?
それで楽にはなるが、楽しいか?
私はそうは思わない。
断じて思わない。
すれ違い、互いに互いを悩む行為こそ誠意ではないだろうか。
それが伝わるかどうかは別としてという話にはなってしまうが、そこにこそ「気持ち」があると思うんだ俺は。
洋次郎だって後に「オーダーメイド」を歌ったし。
なにより、すれ違いがなくなってしまえば「めぞん一刻」が全然面白くなくなっちゃう!
そこでだ、すれ違いすら楽しんでみようじゃないかと提案したい。
や、実際は多分俺も無理だろうけど。
でも人生を面白くするのには一役買うのは間違いないんだ。
その結果、失敗しちゃったら俺に笑って聞かせてくれよ。俺もそういう失敗談なら沢山ストックしてるからさ。
だからさ、髪がなんでピンクなんだよとか他の子と帰ってるの見かけたくらいで不機嫌になるなよとか俺は悪くないってフォローいれなかったら爆弾抱えてんじゃねえとか一人爆発した次の日にはなんで全員に爆弾ついてんだよばかやろうとか挙げ句登校さえ苦になって三年なのに電源切ったりする羽目になったからってふてくされるな、俺!めげるな、俺!ファイトファイト!楽しんで!
というわけで、「ときメモ」の話でした。
