Absence sharpens love(9)はこちらから***
「まぁ、とりあえず体は元気そうだしそこんとこは安心したわ」
少し困ったように微笑んでアヤネちゃんはそんな事を言いながら席を立つ。
腕に通していたヘアゴムで髪をきゅっと後ろで一つにしばって「よし」と気合を入れてこちらをまっすぐ見つめた。
「じゃあ私そろそろ帰るね」
「え、もう帰っちゃうの?良かったらご飯でも……」
「いやぁ、流石に今日はエンリョしとくよ」
顔の前で手を横に2、3度振ってアヤネちゃんはアハハと笑う。
「また落ち着いたら誘って。そうそう、ちょっと良いカンジのカフェ見つけたんだ。今度はそこ付き合ってよ」
「ありがとう。わかったわ。またメールするからね」
「了解ッス!」
ぴしっと敬礼ポーズを作って、じゃっと一言。
くるりと後ろを向いた彼女は、あっ、と小さく呟いてもう一度こちらに向き直った。
「葉!無理はせずでも頑張って思い出すんだぜ!どーしても無理なら……」
「……無理なら?」
「もっかい私が階段から突き落としちゃる!」
「ちょっ、それはカンベン……」
焦る葉の顔を見てぷはっと吹き出すアヤネちゃん。
ケラケラ楽しそうに笑って、嘘に決まってんじゃん!ツッコんでよ!と叫ぶ彼女の顔がとてもとても寂しそうだったのを私は見逃さなかった。
葉なのに、葉じゃない。
そんな彼と話す事を心の中のどこかで苦しいと想っている気持ち。
そう思った直後の自己嫌悪。
自分に出来る事がなにも無いと悟った瞬間の悲しさ。
彼女の見せた一瞬の表情にはそういった葛藤があったのだろう。
痛いほどわかる。
もどかしさ、何かしたい、でも出来ない、どうしたら良いのと焦る心。
そして、置いていかれてしまったと言う孤独感。
「んじゃ今度こそ帰るわ。お大事にね」
その言葉で私も立ち上がり彼女を見送る為に玄関へと向かう。
葉も真似て立ち上がろうとした時、アヤネちゃんはそれを優しく阻止した。
「葉はここにいて」
微笑んでそう言うアヤネちゃんを見て、葉はこくりと頷く。
彼女はアリガト、と呟いて私の手をぐいと引っ張った。
リビングから廊下へ、廊下から玄関へ。
いつもより足早に進むアヤネちゃんの後ろ姿を見て、それだけで私は全部わかってしまった。
彼女はきっと。
「アヤネちゃん」
「うん」
振り向かないまま呟く彼女の声は微かに震えている。
「アヤネちゃん、大丈夫よ」
熱を帯びた彼女の指先をそっと両手で包んだ。
声と同じ、小さく震える指先。
「今日来てくれてありがとう。嬉しかった」
「わたし、なんもしてない」
ぽとんと私の手の甲に一粒の涙。
葉の前では気丈に振舞っていたけれど、きっと彼女もずっと涙を堪えていたのだろう。
「ううん。アヤネちゃんが来てくれたの、すごく嬉しかったのよ。私も、きっと葉も」
「葉……あの、馬鹿……なんで忘れちゃうの」
きゅっと唇を結んで俯いて、小さな声でアヤネちゃんが苦しそうに言う。
空いていたもう片方の手を私の手に重ねて、なんで、なんで、と呟く。
「私の事はいいよ、でもなんで月子の事忘れちゃうの、月子の事あんなに大事にしてたのに、月子ひとりぽっちにしてんじゃねぇよ」
喉の奥が苦しかった。
何も言葉が出てこなくて、それなのに涙ばかり出そうになる。
悲しいのか、寂しいのか、感情の底の底にある物が掴めそうで掴めなくて。
「ありがとうアヤネちゃん、でも私は大丈夫だから。待つの得意なの」
目を真っ赤にしたアヤネちゃんはとても困った表情で私をじっと見つめる。
素直で真っ直ぐで優しい彼女をこんなにも泣かせてしまったことを単純に申し訳なく思った。
「何かあったらいつでも連絡してね。私すっ飛んでくるから!月子ひとりで全部背負わないで」
「うん、頼りにしてる。本当にありがとうね」
鼻をすすってえへへと照れくさそうに笑うアヤネちゃん。
照れ隠しなのか、握った私の手をぶんぶんと大げさに振り回している。
「じゃあまたね。葉のことよろしくね」
「まかせて。また何かあったらすぐにお知らせするわ」
「ん!」
泣き顔のまま満足そうに微笑んでパッと私の手を離し、今度はその手をぴらりぴらりと横に振る。
「ガンバレ!月子」
跳ねるようにドアを抜け、そのまま振り返らず彼女は部屋を後にした。
重いドアがゆっくり閉まり、少し玄関に残るアヤネちゃんの香り。
"ガンバレ!"
耳に残ったその言葉をもう一度自分の中で反芻して大きくひとつ深呼吸。
そうしたら少しだけ、落ちていた気持ちが上昇していくのが分かった。