日本にいた時から、L.L.Beanのトートバッグが大好きだった。形やモノグラム(刺繍)を選んでカスタマイズする。お店で見本を見たり、オンラインで購入したり。
オフホワイトの帆布素材はどうしても汚れるためブラシをかけたり、洗濯して。流石にボロボロになったらまた同じものを買い替えたり。そのくらい長年愛用していた。
そして、L.L.Beanの国アメリカにやって来たわけで。ワクワクしながらオンラインサイトを見てみる。トートバックのミニサイズが、欲しくなったからとりあえず見るだけ見てみようと。
「ん?あれ?」
「これだけ?」
トートバックのカテゴリーを選択してスクロールするも、一瞬で終わる。もう一度見返してみてももちろん変わらず。そう。日本のL.L.Beanの方が圧倒的に種類が多かったということ。
↓どちらのトートバッグも日本仕様でアメリカのサイトにはない。
この現象は、何もL.L.Beanだけの話ではない。PatagoniaもTheNorthFaceもNew balanceも。値段はアメリカの方が安いのに、全く買う気がおきなかった。最初は体型の違いなのかなと思っていたけど。
そうではなかった。
デザインも形も縫製も生地感も。ブランド名がただ同じなだけで、全てが日本仕様になっているということ。先日、日本は食べ物が美味しすぎるとブログに書いたけど、食べ物だけではなかった。日本はアパレルに対するこだわりも遥か先を行っている。
多分、いや絶対に、食べ物とアパレルだけではない。日本というフィルターがかかると、どんなモノもクオリティが上がるという現象。当たり前に住んでいた日本という国の優秀さは、脅威にも思える。
そこまでする必要がないのに、そこまでする日本。こんな国、他にもあるのだろうか。ドイツ?イギリス?そんなことが気になって仕方ない今日この頃だったりする。