”阪神淡路大震災”から昨日で19年経ってしまった。
昨年出会った人は語った。
「窓から見える神戸の街は炎で真っ赤だった」と。
テレビに撮された火に包まれた街や、
壊れた高速道路の映像。
その衝撃を今でもはっきり覚えている。
そして別の人からはゆっくり話を聞くことができた。
その人は震災当時、大阪に住んでいて貿易関係の仕事をしていたそうだ。
震災後、神戸や大阪の港を使うことができなくなり、
毎日、大阪から名古屋へ通う日々が続いたという。
数ヵ月後、体を壊してしまい、
2年間仕事が出来なくなってしまった。
その後、東京に出てきて全く違う職種に付き、
家庭を築き、現在も活躍なさっている。
このように大震災の余波は大きく広がり、
人々の人生や生活を変えてしまう。
以前観たTV、「夢の扉」で紹介された人。
その人は”阪神淡路大震災”で親友を亡くしてしまった。
職業は呉服屋さん。
震災を機に残された親友の妻子に、
亡くなった親友に、
悲劇を繰り返さないための製品の開発を誓う。
今では誰もが目にすることができる、
家具の倒壊を防ぐための「防災ジェル」。
当初、企業はどこも相手にしてくれなかったという。
差し出す名刺は呉服屋さんということも手伝って・・・
しかし、努力の甲斐あって大手の引越し業者がその商品に目を付け、実用化された。
やがて工場などにも使われるようになり、
市場を広げ、
今では誰もが近所で手にすることが出来る。
番組の最後、
”東日本大震災”で大きな被害を受けた仙台に住む母親からのビデオレターが、開発者のもとに届いた。
防災ジェルのおかげで、
幼い娘がタンスの下敷きにならずにすんだとの感謝の言葉だった。
一人の誓いから生まれた商品が救った命は、
少なくないのではないだろうか?
震災の余波・・
”東日本大震災”では、岩手、宮城、福島の3県が甚大な被害受けてしまった。
しかし、語られることが少ない地域にも多くの被害が起きている。
やはり昨年出会った方から聞いた話。
栃木に住んでいた家は震災で半壊してしまい、住むことができなくなってしまったそうだ。
そして、親類が住む他県に身を寄せ、全くのゼロからの生活を始めたという。
私も栃木県での被害を聞くことが少なかったので、
認識の甘さを痛感してしまった。
避難生活。
今なお続く多くの避難生活。
その全ての明日が輝くことを願っています。
”阪神淡路大震災”当時の私は極貧で、
自分のことで精一杯でした。
その何もできなかったやるせなさも、
このブログに少しつながっています。
”love & peace”
宮城県東松島市にある私立ののびる幼稚園は東日本大震災で被害にあった幼稚園。
現在企業の倉庫をまがりし運営していますが、その場所もでなければなりません。
園児たちのために2014年4月の新園舎開設に向けて、先生たちが今まさに奔走されています。
”宮城県東松島市のびる幼稚園を応援”しようぜ!↓
http://shop.benesse.ne.jp/mall/smilebasket/cp_nobiru_01.jsp?BRDCRB=smilebasket


