"「子育てのできる南相馬に」がん抱えつつ被災地支えた産婦人科医 高橋亨平さん死去" | Love & Peace 2011

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3.11
あの日から変わったこと
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”msn産経ニュース”より一部抜粋↓

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130123/dst13012323090015-n1.htm


 「やり残したことがある」と被災地にとどまり、地域医療の屋台骨となった医師が亡くなった。東日本大震災で大きな被害を受けた福島県南相馬市で、末期がんのため「余命半年」と告げられながら診療を続けた「原町中央産婦人科医院」院長、高橋亨平(きょうへい)さんが22日午後、肝機能障害のため南相馬市内の病院で死去。74歳だった。

 高橋さんは福島県立医科大を卒業後、昭和46年から原町市立病院(当時)で産婦人科医を務めた。55年に開業し、取り上げた赤ちゃんは1万人を超える。

 「自分のやれることをやらなければ」。多くの市民が避難し、医師不足が顕著になった南相馬市。それでも地元に残り、診療を続けた。

 強い意志の宿った体は病魔にむしばまれていた。平成23年5月に大腸がんが発覚。転移も判明し、「余命半年」の宣告を受けた。しかし、「子育てのできる南相馬に」との思いを胸に新しい生命を取り上げ、被災地の医療を支えた。

 数週間に1回、福島市の病院で治療を受け、痛みや吐き気などの症状と闘いながら、「南相馬、そして日本の復興のため、まだまだやり残したことがある」と、昨年12月に入院するまで診療を続けた。

 南相馬市のよつば保育園の副園長、近藤能之さん(46)は、高橋さんらと保育園の除染を行うなど、子供たちのための活動を展開。昨年12月17日に開かれた74歳の誕生会で会ったのが最後となった。

 「『女性と子供がいないまちは未来がない』と、口を酸っぱくして言っていた。がん宣告後は鬼気迫るものがあり、進まない復興へのジレンマも抱えていたようです。いつも南相馬のことを心配されていた」と話した。