*NNNドキュメント「遠きフクシマの故郷~さまよえる家族たち~」より
”東京電力福島第一原発事故”により、
避難生活を余儀なくされている”家族たち”を追いかけた番組。
~福島県川内村~
帰村宣言をいち早く打ち立てた川内村。
除染は進められているが、
2800人いた村民もわずか400人あまりの人口に減ってしまった。
事故前の村民の多くは農業を営んでいた。
70代のSさん夫婦は、
週に5日、村で過ごしている。
再び原発事故が起きた場合を考え、
仮設住宅から通っている。
育てていた牛は手放し、牛舎も取り壊した。
牛が飼えないと、
堆肥を入れられず、
土地が痩せていく。
「農業をやる気になんかなれない。」
除染により畑の土は剥ぎ取られた。
帰れるけど帰れない故郷・・・
その現実
~避難区域ではないが都市部から自主避難~
Nさん家族は、
夫は仕事のために福島に残り、
妻と、幼い三人の娘たちは山形県に自主避難している。
妻は語った・・
明日にでも帰りたい。
放射能汚染が全部嘘だったという夢を見る。
目が覚めると、現実に引き戻される。
と・・
この頃、山形県に避難してきた福島県からの避難者は、
1万人を超えてた。
Nさんの妻は、
自主避難した「母の会」を立ち上げた。
まわりには、放射能のことを気にしすぎだと言われるため、
声をあげられない母親たちがたくさんいた。
そして、親や友人を残して福島を飛び出してしまった後ろめたさが、
母親たちに重くのしかかっていた。
Nさんの夫は、
月に1,2回、家族に会うために山形へ向かう。
二重生活には、毎月10万円の出費が課せられる。
妻は一人暮らしで乱れがちな食生活を心配して、
家族が揃う日の献立に気を使った。
避難から2年が経つ来年の4月、
次女が小学生に入学する時に、
福島へ戻ることをNさん一家は決めていた。
妻は、避難せずにに残っている母親たちに会うために福島へ向かった。
「今の生活に満足してるわけじゃない」
「何にも進んでいない」
「どこに言ってもしょうがない」
「情報が多すぎて何を信じていいかわからない。
自己判断するしかない。」
福島の母親たちの声・・・
「それぞれの家族が決めればいいこと」
Nさんの娘たちは、
山形ですくすくと育っていた。
父は語る、
「私が知らないところで娘たちが成長していくのが何年続くのか?
家族が一緒にいないということが当たり前になるのが不安。」
Nさん夫妻は、
娘たちのために二重生活を延長することを決断した。
クリスマスには
つかの間の時を
福島で一緒に過ごす。
あの事故以来、
当たり前だった風景は、
あの事故以来、
こんなにも当たり前ではなくなってしまった。
(続く・・)