1945年8月10日 山端庸介氏撮影→http://www.peace-museum.org/yamahata_frame/frames.htm
上の写真は原爆投下の翌日、軍の報道部の山端庸介氏が撮影したものです。
5日の日曜日に放送された、TBSテレビ 「NEWS23」の特番で、
女優の”綾瀬はるか”さんがこの写真の女性に会いに行った。
撮影場所は爆心地から数百メートルしか離れていない女性の家があった場所。
原爆が投下された時、女性は父親と外出していた。
足元のご遺体は彼女の母親。
学徒動員でもらったお金で、母に送った”べっ甲の髪留め”で母親だとわかった。
彼女の目線の先には父親がいた。
実家の道を挟んだ向かい側の歯医者さんの娘の少女を、
防空壕から救出している父親を見つめていたことが、
彼女の口から語られた。
写真を見るのはとてもつらそうだった。
番組では、救出された少女を探しに長崎へ向い再会を果たす。
”歯医者さんの娘”さんの口から重たい過去が語られた。
原爆投下で一変した人生。
家族を失い。
足が不自由になり。
度重なるガンの再発。
自分の子供にも”原爆”の話をすることを避けてきた。
「背負わせる負担が大きすぎるから」
「自分と一緒に過去は消去されればいい」
そして、差別との戦い。
広島でも、長崎でも、
死ぬも、生きるも、
地獄だった。
結婚も、出産も、
原爆によって簡単ではなくなってしまった。
結婚が破談になり、自殺する人もいた。
彼女はT字型の防空壕の奥に爆風で吹き飛ばされ、
爆心地から近かったにもかかわらず助かった。
アメリカ「ABCC(原爆障害調査委員会)」は奇跡の生存を調査して
日本の防空壕の形状は、アメリカの核シェルターに生かされた。
アメリカのシェルターに。
再会を果たした少女たちは、67年前の二人に戻っていた。
*写真の掲載は悩んだ上ですが、
多くの犠牲があって今があることは忘れずにいたい、
忘れないでほしいと思っています。
