”黒い雨” | Love & Peace 2011

Love & Peace 2011

3.11
あの日から変わったこと
変わらないこと
先送りできる問題なんてひとつもない!

NHK 「黒い雨~活かされなかった被爆者の記録~より


(番組の最後に・・)

67年前、

母親の背中で黒い雨を浴びてしまった男性が

福島から広島に避難している人たちに訴える

福島第一原発の爆発の時に

自分と子供がどこでどのように被爆したかの詳細な記録を残す必要性を。









ずっと続いている、67年前からずっと・・

アメリカと日本の関係性と体質。



原爆症の認定の際に

関係性を否定され続けてきた”黒い雨”


アメリカ「ABCC(原爆障害調査委員会)」が行った”黒い雨”の調査データは

存在さえ知られていなかった。


1975年「ABCC」は日米合同の「放射能影響研究所」に姿を変えた。

長崎の本田医師はデータの存在を疑い「放影研」に開示を求めるが、

個人情報ということで拒否された

代わりに当時行われたのと同じ、空白の調査書を渡される

「黒い雨にアイマシタカ?」

という問いに13000人が「yes」に印をつけたその調査書


マスコミからの問い合わせの殺到により、

2ヶ月後、”黒い雨”に打たれてしまった人たちの分布図が公表された。



「ABCC」は調査をしておきながら記録を眠らせてしまった。


「広島と長崎で誤解を招く記録は押さえ込まなけえばならない」


これは、1955年アメリカで大きな影響力を持つ「原子力委員会」の幹部の手紙。

当時、「原子力委員会」は

”核兵器開発”と”原子力の平和利用”を同時に進めていた。

核実験を繰り返し不安が高まっていた世論、

都合の悪いデータは無視され、報告書を作成した博士は辞職した。



”黒い雨”などの「残留放射線」の影響が低く見られたことには

原爆が投下された1ヶ月後に巨大な台風が襲来し

放射線が洗い流された後に調査が始められたことも関係している



1954年、ビキニ環礁での水爆実験では

日本のマグロ漁船”第五福竜丸”も「死の灰」を浴びた。

日本の食生活にも不安を与え

キャベツをガイガーカウンターで測定するニュース映像が流れる。




”黒い雨”の個人調査書

今、調査記録の問い合わせが相次いでいる

番組では了解を得てその一部を公表している


髪が抜けたり下痢や嘔吐を繰り返した”黒い雨”の被害者たち


冒頭で紹介した男性は

幼い頃から白血球の数が少なく

母は乳がんを発症

”黒い雨”を浴びた記憶は無いが、

母の話で聞かされた、

おぶっているときに雨を浴びたことを。

男性は自分の記録を取り寄せると

「雨にアイマシタカ?」の質問に”YES”と母が記入していた。



現在

”黒い雨”にあたった人のデータから

真実を引き出す作業が行われている

これは「原爆症」の認定裁判に好影響を及ぼすと思われるが、

多くの方が志半ばですでにお亡くなりになってしまっている・・








アメリカと日本

原発も

沖縄問題も

アメリカと日本の密約の歴史が

いまだに多くの問題に影響を与え続けている。







「安らかに眠ってください  過ちは  繰り返しませぬから」
















*この時期の戦争や原爆の報道がずいぶん少なくなったように感じる

年に一度、戦争や原爆を考える。



去年の”東日本大震災”

年に一度の報道になるにはまだまだ早すぎる。